洋書や理工学書は当然横書きですが、文学、歴史、新聞は縦書き、小学校の教科書は、国語、社会が縦書き、官庁に提出する書類では縦横半々と言うところではないでしょうか。文学、特に詩や俳句、短歌も横書きにしたらどうなるでしょう。案外韻の部分が明瞭になり生きてくる可能性が大です。イギリスの短編作品に「スクリーム(叫び)」の中では、心の中の悲鳴が共鳴して増幅して行く様子を活字のポイントを変え表現しています。その部分は本を寝かして横書きで読むしかありませんでした。縦横の変換で芸術への受容性が変わってくるものですね。
過去に於いて、志賀直哉が敗戦に絶望して、日本語を捨ててフランス語にしようと提案しました。文壇の重鎮が言うのですから、反響は大きなものです。もし、彼が「公文書の地名人名にアルファベットを認めよう、横書きを主体にしょう。」位に留めていたら、米軍に絶対権力があった当時ですので、これは実現していたでしょう。夏目漱石も適訳の無い時は英単語をそのまま用いています。アルファベットが邦文内に受け入れらる素地は十分あったのです。おそらく、若者は30年くらいで、LとRの音が区別できる様になったでしょう。確実なのはカタカナ語が激減し、小中学校で習う1000語弱は英単語の語彙に置き換わっています。明治にも森有礼が同様の提案したそうですから2回目のチャンスを逃した事になります。
現在3回目のチャンスが訪れようとしています。未来図書は当然電子ブックなので、植字工の版組独占体制が崩れ、書き手読み手は自由になれるでしょう。すでにマニュアル文書では、切手のようなサムネイルが左右の余白に振り分けられ、行間の意が表に現れて来ています。全書籍にCDが添付される時、我々は縦書き、英単語の頸木から解放されるのです。大変な遅れを取ってしまったものです。
(一般科 玉木 正一)
「高専だよりNo.131 掲載」