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平成 19年 第3回 一般科 柴田美由紀

「雑誌雑感」

 落ち葉の舞う季節になると、明治新聞雑誌文庫に通っていた日々を思い出す。上野公園を横切って歩くと、色とりどりの枯葉が足元でカサカサと軽快な音を立て、文庫に着くまでの道のりを楽しませてくれた。

 文庫の建物は古く、「トイレの配管はどこにどう繋がっているか不明なので故障の無いように使用してください」などと張り紙がしてある。建物自体が迷宮なのだ。長い長い時間をかけてどんな資料が堆積しているのか、その厚みも計り知れないだろう。

 百年以上の時を経た雑誌は脆く、頁をめくるだけで紙にひびが入ったり、小さな破片がハラハラとこぼれ落ちるようなこともあり、閲覧自体がスリリングな体験である。複写で強い光を当てることは憚られるので、欲しい資料は書き写した。紙を傷つけないよう、ボタンなどの付いていない柔らかい服を着て、そっと雑誌の山の中に分け入っていく。おおらかな、饒舌な、一途な、闊達な・・・多彩な声が頁を繰るごとに遥か遠くから聞こえてくる。明治時代の人々の声だ。

 文庫からの帰路、ぶらりと立ち寄った書店の雑誌コーナーは、生まれたての本の放つ若々しい匂いと、それらに群がる人々の熱気でむせ返るようだ。ピンと張った真新しい紙の瑞々しい感触。刺激的なインクの匂い。

 時代に皮膚というものがあるならば、それは日々刊行される夥しい雑誌の一頁一頁ではないだろうか。新刊雑誌の棚に引き寄せられる私たちは、今という時代の皮膚に触れたい気持ちを心の底に持っているのかもしれない。だから、電子メディアがどれほど発展しても、雑誌というものは無くならないように思う。日々脱皮を繰り返し、時代を包む新鮮な皮膚として新たに生まれ続ける性質のもののように思う。そして、脱ぎ捨てられた皮膚は静かに堆積していくのである。またいつか頁を繰ってくれる人を待ちながら。

(一般科  柴田 美由紀)
「高専だより No.143 掲載」