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平成 27年 第1回 一般科 田中仁

「書を読みて未(いま)だ倦(う)まず」


 江戸時代の儒学者・林羅山(はやしらざん)(1583〜1657)のことばである。博覧強記で知られた彼は、徳川家康からの信任がきわめて篤く、その後、秀忠、家光と三代にわたって徳川幕府のブレーンとして重用された。江戸時代の学問や知のあり方を方向づけた、まさに知の巨人である。


 彼の知識の源は書物を読むことであった。時間も場所もかまわずに読んだという。ほんの少しの暇を見つけては読み、寝る間も惜しんで読む。書物を読むことに対する羅山の情熱は、ほとんど狂気に近いものであったらしい。


 「書を読みて未(いま)だ倦(う)まず」は、羅山が門下生たちに語ったことばの一節である。羅山は弟子たちに向かって、次のように激励した。「私は老いているけれども、それでも読書をしていまだかつて飽き疲れるということがない。この1年間で目を通した書物はおよそ700冊である。君たちも励みなさい。」(「羅山先生年譜」*原漢文)と。還暦を目前にして1日あたりおよそ2冊のペースで読書に勤しむのだから、羅山の読書量が尋常でなかったことは容易に想像されよう。


 しかしながら、彼のそうした読書三昧の日々は、ある時、唐突に終止符が打たれることになる。明暦三(1657)年正月に起きた明暦の大火で、彼の本宅および文庫が焼失するという悲劇に見舞われたからである。75歳の羅山は、一生涯をかけて集めた膨大な蔵書が一夜にして灰燼に帰したことに大いに動揺し、そのまま病臥してしまう。そして、それから3日後、失意のうちにこの世を去る。一瞬にして蔵書を失った羅山の無念、落胆は察するに余りある。


 さて、現代を生きる私たちは上述した林羅山の生きざまから何を学ぶべきであろうか。


 人の一生を長いと感じるか短いと感じるかは、人それぞれ、その時々で異なるが、いずれにせよ私たちに与えられた時間が限られていることだけは確かである。何かとせわしない現代を生きる私たちには、読書という行為に割くことができる時間はあまりにも少ない。


 だから、ここで私は、羅山のように1日2冊、1年で700冊の本を読むべし、と言うつもりは毛頭ない。ただ、羅山が味わったであろう、本を読むことの楽しさあるいは知ることの楽しさをとにかく実感してほしいのである。高専で学ぶ数年間で、自分がおもしろそうだと思える本に1冊でも多く出会い、どれだけ時間をかけてもいいからじっくりとその本と付き合ってみてほしいと思うのである。限られた時間のなかで、出会いや付き合いもまた限られたものにならざるを得ないが、時間に追われて読み捨てたり、さらっと斜めに読んだりしたために、それが運命の出会いだったことに気がつかぬまま通り過ぎてしまったとしたら、それは何とも惜しいことだ。


 なかには読書そのものが苦手という人やどんな本を読んだらいいかわからないという人もいるかもしれない。そういう人たちは、とにかくいま身近にある本に手を伸ばし、その本を愛するということから始めてみるのもいいだろう。まずは図書館に足を運んで、本棚に並ぶ本のうちどれでも1冊手にとってみよう。手にした1冊をぱらぱらとページをめくってみて、紙の端が折れ曲がっていたりしわがついていたりするところを元どおりにしてやる。鉛筆の落書きがあれば、消しゴムでそっと丁寧に消してやる。そうした具合に1冊を何か大切な宝物のように扱っているうちに、その1冊に対する情が生まれ、その本に書かれた内容にもきっと愛着がわいてくるはずだ。


 高専で学ぶ諸君にとって、図書館はもっとも身近な知識と情報の宝庫である。いつでも気が向いたときに本を借り出して読むことできるという、私たちが当たり前のことのように思っているこの環境を、あの世にいる羅山先生はきっと心から羨んでいるに違いない。


 (参考)鈴木健一著『林羅山』(2012年、ミネルヴァ書房)


(一般科  田中 仁)