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電気電子創造工学科 久保研究室

久保研究室

サイバネティックス研究室 久保教員室   最近の投稿へ 緊急連絡へ

 信号処理,音響学,計測工学,応用物理,横断型科学技術の研究室です。
小山高専 電電棟4階 にあります。

担当教員Professor  教員研究Study  講義Lecture 
卒研・ゼミSeminar  業績Paper
資料その他Etc.   リンクLink  電子制御工学科
教員(学外のページ)  電子制御工学科時代のHP 
  
直近の記事   最近の投稿
シーズ集 久保(2020)
リサーチマップ Kubo Researchmap(2021)
J-グローバル Kubo J-Global(2021)
国際会議IEEEでの女性/若手研究者部門で受賞 小山高専おしらせ IEEE WiCAS/YP
国際会議での活躍に,本科学生が奨励賞を受賞 小山高専おしらせ TJCAS2019
図書情報センターだより令和2年度 第2回 コロナ時代のインターネットと紙の本(2021)PDF 
専門書の出版が決まりました 「量の理論とアナロジー」(出版社HP,2021.8.)
専門書の出版が決まりました 「量の理論とアナロジー」(アマゾンHP,2021.9.)
専門書を出版しました 「量の理論とアナロジー」(小山高専お知らせ,2021.12.
国際会議ICTSS2021で2件の査読付き論文採録,発表しました(2021.12.9.)
国際会議で新しいコロナ感染症モデルを提案しました(小山高専お知らせ,2021.12.) このHP
国際会議の発表2件が最優秀賞をいただきました(小山高専お知らせ,2021.12.) このHP
コロナ感染症モデルの提案がテレビ小山で報道されラジオ出演しました(小山高専お知らせ申請予定,2021.12.) このHP

研究室の方針
「当研究室は、国籍・地域、所属機関、民族・人種、思想・信条、性別・年齢等での制限・制約は一切設けず、自主・独立、社会的に公正・中立な運営を行ってきています。」
「何かを失敗して自信を失っているが弾みをつけて社会に出たい人に,研究の基本を身につけて将来は研究職に就きたい人に,対応します。申し出てください。」
研究室の分野と構成
・当研究室は教授1名と電気電子創造工学科卒研生数名と,年度によっては専攻科学生から構成されます。
・当研究室は,システム工学,横断型科学技術,Norbert Wienerのサイバネティックスをカバーします。
・具体的には計測工学信号処理音響工学情報理論信号理論などを扱います。
・当研究室に適した学生は,自分で考えることができる人,細かな分野にこだわらない人。
(初心者は歓迎しますが,自己流の癖のついている人は向かないかも知れません。)
研究室が求める卒研生・専攻科生
創造性(子供の時は皆持っているもの)を学校教育で潰されていない人を優遇,成績順位は関係ありません。
・当研究室の卒研生がやるべきことは,真面目に来る,指示を守る,課題はきちんとこなす,この3つです。
・学生の要望を聞きます。その際,アピールが高い人は,テーマの難易度を引き上げてしまいますのでご注意。
・教員は基本的に教えません,学生の側から,取りに来る態度を重視しています。学問に貪欲な人を歓迎。
・当研究室では,C言語,ロジックIC,アナログ回路設計などをどんどん使います。配属後に勉強しても可。
卒研での注意点はこちら

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担当教員

 久保和良
(独)国立高専機構 小山工業高等専門学校  電気電子創造工学科 教授
◎私の専門は信号処理音響学計測工学横断型科学技術です。◎専門を訊かれるのが苦手
元 国立大学法人 長岡技術科学大学 客員教授
元 群馬大学 工学部 講師
元 筑波大学 機能工学系機械システム研究室 内地研究員
元 ポリテクカレッジ小山 デジタル回路担当講師
元 自治医科大学看護短大 情報科学担当講師
元 科学技術庁 若手研究者招聘研究員
元 通産省工業技術院 計量研究所 力学標準研究室
元 横河電機株式会社 研究開発2部 研究員
 
 eMail: kubo@oyama-ct.ac.jp
 eMail private: kazuyoshi@kubo.main.jp
 Facebook: https://www.facebook.com/hippo.shippo/
 Clubhouse: @kubo_oyama
 Twitter: @kubo_oyama
        ※全角文字は半角に直してください

 ・此何遽不爲福乎(淮南子)
 ・明日死ぬかのように生き,永遠に生きるかのように学べ(M.G.)
 ・技術は長く人生は短い”Ars longa,vita brevis”( Ἱπποκράτης)

自己紹介:小山高専で計測工学とシステム工学を担当しています。茨城県石岡市生まれ,土浦一高,筑波大学第3学群基礎工学類物理工学専攻。漱石や寅彦の文学と石岡、土浦、小山の歴史に関心があります。カメラ、古書、音楽が趣味です。万年筆インクの設計などを始めました。山登り,スキー,楽器演奏,カーレース,カレーライス,地方都市巡りその他へただが好きなことは多い。
専門:物理工学,機械工学,計測工学,信号理論,建築音響学,技術者教育,量の理論,回路設計,並列計算機開発,ハードウェア設計,C言語プログラミング,脳科学,生理学,近代文学,横断型科学技術
学位:博士(工学),工学修士,工学士 資格:Jabee審査員資格,ほか
学会:IEEE Soc.InstrumMeas.,SICE(計測自動制御学会),JMES(日本機械学会),ほか
賞罰:学会賞 IEEE WiCAS/YP Award Special Section JSHSS 1st winner in TJCAS2019,ほか
詳細は → 教員(about Dr. Kubo) ←学外のページ 

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教員研究・学校運営・学外活動

教員研究
        写真は 国際会議での発表・ 色の感覚量信号処理の例・ 国立土木研究所でのダム騒音跳水実験

1.楽器音の減衰分析 弦楽器(ギター,ピアノなど)や打楽器(シンバルやドラムなど)は,一度エネルギーを与えると,その減衰によって音色を奏でる。減衰分析を通じて,振動モードなどの解析を行う。その際,分解能の高い信号処理アルゴリズムが必要となる。これを次の2.のテーマとして研究する。
2.スペクトルの時変解析 周波数スペクトルの時間経過を追うためには,時間周波数分布などが用いられる。この信号処理には,標本化定理の拘束と,不確定性原理の拘束が避けられないと考えられている。サンプリングの工夫と信号処理アルゴリズムの開発により,新しい分析手法を提案している。
3.インク色の設計 分光測色計を使用して,CIELab表色空間のa*,b*軸で作られる平面上で,減法混色によりインク色がどのように遷移するかを研究して,それに沿って目標色を設計している。これまで「採点に優しい朱」,「目に優しいレーシンググリーン」,「チョコレート色セピア」のレシピを得た。
4.量の理論と計測 量の理論は計測および工学全般で重要である。その分類には外延量と内包量,位差量と流通量など,様々なものがある。これらの関係を明白にして,背景にあるアナロジーがラグランジュ方程式など変分原理に立脚していることまでは明らかになった。そこから異分野で未発見の現象を予想する。
5.級数と数論による信号処理アルゴリズムのLSI実装 群馬大学と共同研究で進めている。数論の基本的な数理から出発して,AD変換アルゴリズムを導出し,LSIへの実装をしている。また,テーラー展開によると比較的低次近似で正弦波が合成できることから,新しい発想のディジタル変換を実現した。
6.医学基礎研究 いくつかの特徴的な領域:移行上皮癌,内分泌系疾患,循環器内科,肝移植などの基本的研究を継続している。とくに泌尿器科での主要疾患が治りにくい根底はどこにあるか,治療の要点はどこにあるか,循環器でのインターベンションの要点,寛解後の注意点などに興味がある。
7.文学と地方史 常陸の国の国衙と街並みを,そこで生まれ育った者として解明に挑戦している。文学研究は漱石の心と幸田文,そして科学者の随筆などを研究している。それらの異分野研究を通じて,学生時代は大嫌いだった国語,社会といった分野が,その教育者自身が弊害を作っている仮説を調べている。

学校運営・学外活動
                    写真は  校内点描     ・   国際会議でのレセプションスピーチ

1.過半数代表者 小山高専の教職員の使用者(校長先生)と対等な立場で,教職員の労働協定を締結し,働き方改革等の相談を相互に行っています。必要に応じて他高専の職場代表者,全大協,労働基準監督署と連絡を取りながら,本校の教職員が無理のない職務を,笑顔の絶えない労働環境で,研究・教育・学校運営・行政・学内外対応ができるように,誠実に活動をしています。勿論この活動は,学生への利益に直結します。
2.教務委員 学校の第一の指名は,学生の教育にあります。そのうち授業や卒業研究等のカリキュラムなど,中心的役割を果たしている委員会の1つが教務委員会です。ここに電気電子創造工学科委員として参加し,学校運営の一翼を担っています。
3.学科間連携教育専門部会会員 学校内の横断的教育連携を担う仕事を受け持っています。
4.入学者対策室室員 学校の重要な業務の1つである入学関係の仕事を受け持っています。
5.学内委員 本校の守秘義務のある委員を二つ拝命しています。職務の性質上,HP掲載ができません。
6.学外学会論文査読委員 学外学会の論文査読に関する仕事をしており,詳細は明かせません。
7.計測自動制御学会専門図書執筆 学会の新シリーズ図書の執筆を依頼されています。

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講義・実験担当

  
講義基本方針として,全体を把握すること,自分で考えること,広い視点から実態応用まで意識することを重視します。社会で必要とされる能力を磨いてもらいます。覚えておしまいの人には,慣れるまでは大変かもしれない。しかし,慣れてみると得意な人は多いと思います。よく考える習慣は大事なことです。楽しく真剣勝負をします。(例題:100円玉の形は?-ヒント:自販機の投入口はどんな形?)写真は,学科設立当時の1年生向けエンジニアリングイントロダクションの授業の様子です。

1.4EE・計測工学 横断型工学としての計測を学びます。電気計測は既に実験で経験しているので,それを除く工業計測,基本計測,度量衡,計測法などについて学びます。日常生活から標準のトレーサビリティまで,幅広く,かつわかりやすく理解します。併せて,横断型工学として,量の理論とアナロジーや,なぜ電気回路では が使われるか,それが制御工学の s と関係があることも理解します。
2.5EE・システム システムと情報,システム工学の必要性,システムの経済性,安全性,信頼性,スケジューリング,モデリング,最適化,オペレーションズリサーチ,線型計画法,戦略理論,ゲーム理論,ニューラルネットワーク,遺伝的アルゴリズム,人工知能,人工生命,非線形と創発,逆問題,類推と双対,代表的な経験則などを学びます。分野を特定しない横断型科学技術の基本を学びます。
3.1SS専攻科・計測システム論 計測の本質を考えると,測定量が観測され,観測値から計測量を逆問題を解いて求めることになります。これを理解し,サンプリング,積分変換などによって具体的手法を考えます。次にパワースペクトルの時間変化を追います。先人たちがどのように手法を開発してきたかを,原著論文にあたるなどして学びます。科目の後半は信号処理がご専門の平田先生が担当なさいます。

  
実験3年(創造工学基礎実験Ⅲ)と4年(エレクトロニクスデザイン)の実験で,計測制御情報信号のテーマを体験します。これを通じて分析問題,同定問題,設計問題,制御問題をトータルで体験できるように配慮しています。昨年から今年にかけてコロナ感染を予防する観点で,一部の実験を密にならないようにテーマの入れ替えをして対応しているところです。写真は2020年度の音響計測実験の様子です。

1.音響計測基礎実験 音の3要素と,人間の感覚量について学び,計測実験を行います。フレッチャーマンソン曲線により,感覚量について理解を深め,A特性,C特性などを学んで,実際の音を騒音計で計測します。このテーマは密になりにくいので,2020年度から3年生前期の実験テーマとして新設し,実施しています。手引書を作らず,レポート作成と手引書も学生に作ってもらう新たな狙いもあります。
2.温度制御基礎実験 熱電対とコントローラーにより,恒温部を100 ℃に制御する実験を行います。制御方式としてオンオフ,P制御,PI制御,PID制御を体験します。この実験は,4年次制御工学授業の先行体験をするところに意義があります。2021度から3年次後期に,制御工学の北野先生が担当されます。2020年はコロナの影響で閉講したので,2021年度は4年次学生のため4β実験でも実施します。
3.センサと電子回路実験 電子ブロックを使って,回路が部品の組み合わせシステムとして出来上がることを体験し,センサ素子を使って計測を行います。電子ブロックを使うことで,楽しみながら多くの回路を試せます。センシング回路を中心に実験します。このテーマは密になりやすいため,2020年度は実施を見送りました。2021年度は4年次βコース実験として実施する予定です。
4.感覚量の計測実験(音) 音を感覚量と考えて,データレコーダを用いた超広帯域の音響信号を,自作の簡易フーリエ変換プログラムで分析する実験です。C言語プログラミングのファイル操作などをはじめに学び,次に実際の音を計測します。100 kHz帯域マイクと可聴帯域マイクにより,データレコーダで記録した時系列をスペクトル解析します。このテーマはβコースの学生に対して実施しています。
5.感覚量の制御実験(色) 色を感覚量と考えて,分光測色計でLab空間の色データを,減法混色によって所望の色を作り出すことに挑戦します。色の定量分析,作りたい色の同定,設計すべき色のレシピによりインク色を作り,最終的には要求のあった色に制御できるようにLab色空間上で定量的に混色を繰り返します。このテーマはβコースの学生に対して実施しています。

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ゼミ・卒業研究

2021年度R3   2021年度・ゼミ資料をここに置きます(内部関係者用)

庵原 担当:会計 :アーカイブの秘匿性設定に関する研究(仮)
菅野 担当:書記 :C言語CAIの開発に関する研究(仮)
PR:写真はゼミでの輪講の様子

2020年度R2   (社会動向:コロナ対応に追われた1年)

(八島) 
PR:写真はオープンキャンパスの学科面談の様子

2019年度R1/H31   国際会議TJCAS2019(IEEE)in Nikko参加,全員奨励書を受賞

粟野 :Schroeder法による残響測定に関する研究
柏木 :Lab空間における合成色に関する基礎研究
松山 :分光測色計を用いた古書の年代推定
(小薬) 

2018年度H30   電気電子創造工学科2期生

大野 :分光測色計を用いた古書の年代推定
松野 :楽曲の年代推定プログラムの開発

2017年度H29   電気電子創造工学科1期生・サイバネティックス研究室

青柳 :分光測色計を用いた古書の年代推定
新井 :インパルス応答による室内音響の測定
小久保 :シンバル音の音響解析に関する研究
関根 :音響計測と信号処理の基礎研究
田城 :感覚量計測を応用したインク色の設計

2016年度H28   最後の電子制御工学科卒業生

岩本 :音声合成の基礎プログラムの開発
内田 :音声によるPC操作プログラムの開発
向山 :代数方程式の求解プログラムの開発
山中 :人工知能を用いた五目並べプログラムの開発

2015年度H27   電電棟改修工事完了の年

大嶋 :時間周波数分析による音声解析
茂筑 :線形予測法によるギター音の採譜
関口 :音声の高次フォルマント解析の試み
石嶋 :Prony法の研究

2014年度H26 会議室が教員室・図書館が卒研室の年

朝倉 :強化学習を用いた五目並べプログラムの開発
櫻井 :DSPを用いたエフェクタの開発
柴田 :加算合成によるピアノ音の再現
吉澤 :VSTによるエフェクタの開発
山崎 :FFTを用いたギターチューナーの開発

2013年度H25 新学科1期生が入学した年

S2小林 :信号圧縮法とディザ法を用いた分解能向上の研究
石島 :音声信号の線形予測分析に関する研究
鈴木 :人工生命研究のためのロボット学習システムの自動化
杣木 :自然言語処理による日本文学作品の発言者推定

2012年度H24

S1小林 :(ディザを用いた信号処理)
石山 :足音の解析に関する研究
立川 :シンバルの音響解析に関する研究
大石 :音声操作システムの構築
若林 :遺伝的アルゴリズムを用いたロボット学習システムの構築

2011年度H23

S2槁本 :ディザ法と信号圧縮法を用いたシステム同定
大石 :音声操作システムの構築
大杉 :MFCCを用いた音声識別システムの構築
小林 :信号圧縮法を用いたシステム同定の研究
鈴木 :シンバルの音響解析に関する研究
ズルファズリ :ケプストラム分析を用いた音声分析

2010年度H22

S2小山田 :Under-samplingによる多重正弦波のパラメータ推定
S1槁本 :(多重正弦波の信号処理)
岡田 :人工生命研究のためのロボット学習システムの構築
杉山 :マメゾウムシの行動戦略シミュレーション
(ズルファズリ)

>2010年度H22 プチ卒研

ミニ卒研別名「プチ卒研」の名によって記憶にとどめることができた活動がある。これは学科長,自分の代で何かを成したく,強制的にやらせて始めたもので,1年生を卒研室に配属させて,好きな研究をさせる活動である。教員側にはやらされている感が強く,学生側には単位にならない活動を敬遠する意向が強く,長続きはしなかった。写真は初年度の様子である。大きな傾向として,配属された学生が5年次卒研で同じ研究室は希望することが少なく,しかし卒業後の関わりは密である。高専における,上司の思い付きが失敗する典型的教訓として,後世に語り継ぎたい。

2009年度H21

S1小山田 :(多重正弦波の信号処理)
高坂 :強化学習を用いたオセロプログラムの研究
棚網 :学習ロボットに関する研究
冨永 :信号圧縮法による測定環境の開発
七久保 :DSKを用いたディジタルエフェクタの製作
槁本 :Prony法を用いた実信号の周波数推定

2008年度H20

岩根 :Prony法による周波数の推定
小山田 :Under-samplingによる正弦波のパラメータ推定
大塚 :学習ロボットによる人工生命の研究
永島 :DSPを用いたギターエフェクタの製作

2007年度H19

井本 :学習ロボットの基礎研究
大蔵 :遺伝的アルゴリズムによる創発ロボットの研究
リジア :スペクトル包絡による楽器音の分析
上野 :多重正弦波の周波数推定
松本 :Chirp信号を用いた周波数特性の測定
岡田 :周波数推定のための代数方程式の解法

2006年度H18

落合 :ロボットによる創発の研究
小網 :システム同定のためのシステムの開発
高倉 :Q-learningを用いた人工生命の研究
ウィリー :DSPを用いたギターエフェクターの開発

2005年度H17 筑波大学内地留学

(赤澤) :→平田研
(上保) :→笠原研
(上岡) :→金野研
(福島) :→渡邉研
(星野) :→鹿野研
※内地留学の決定が4月後半になり,突然の研究室メンバーの異動をお願いした。研究室配属の皆さんには,申し訳なく思い,お詫びします。

2004年度H16

S2渡辺 :Prony法による多重正弦波パラメータ推定
森 :DSPの拡張に関する研究
岡井 :ロボットを用いた人工生命に関する研究
佐藤 :楽器音に関する研究
村上 :ニューラルネットワークと遺伝的アルゴリズムを使った人工生命の創発
マリオ :ガムラン音の分析

2003年度H15

S2清水 チャープ超音波の相関解析による浅層地下探査(平田・久保)
S1渡辺 :(正弦波のパラメータ分析)
加藤 :周波数推定に関する研究
坂和 :信号処理ライブラリの開発
中塚,大快 :人工生命の創発に関する研究

2002年度H14 久保・平田合同研究室

S2久保田 :周波数推定における量子化誤差の影響
S1清水 :(相関法による地下探査)(平田・久保)
伊勢 :汎用デジタルICテスタの開発
稲葉 :単一音源の3次元位置推定に関する研究
大越 :シンバル音の振動モード分析法に関する研究
高橋 :新しい楽器の開発
矢野 :周波数帯域毎の残響時間測定に関する研究
山元 :人工生命の創発現象に関する研究
渡邉 :Prony法による周波数推定誤差の改善

2001年度H13

S2石山 :正弦波周波数推定法に関する研究
S1久保田 :(量子化誤差の軽減の研究)
阿久津 :ICテスタの製作
石塚 :リアルタイムFFTアナライザの開発
田嶌 :ディジタルバンドパスフィルタの製作
須藤 :マルチエフェクタの開発
鈴木 :FFTによるヴァイオリン音の解析

2000年度H12

S2高橋 :DSPによる信号処理システムの開発
S2(大内) :(跳水音の合成)
S1石山 :(正弦波推定に関する研究)
S1(中口) :(信号処理装置表示インターフェイス)
S1(千葉) :(DSPによる信号発生)
鈴木 :シンバル音の分析
高潮 :打楽器音の分析
仲田 :計測器表示回路の研究
堀江 :エフェクタの開発

1999年度H11 専攻科設置

S1大内 :(跳水音の合成)
S1高橋 :(DSPによるリアルタイム処理装置開発)
前田 :DSPを用いたスペクトル解析
千葉 :正弦波信号発信器の開発
竹中 :M系列信号に関する研究
灘谷 :正弦波信号解析法の評価
箕輪 :信号処理によるダム騒音のスペクトル分析

1998年度H10

藤井 :跳水音の合成
大内 :跳水発生音の時変スペクトル分布
田所 :DSPの基本アルゴリズム開発と環境整備
高橋 :DSPによる残響曲線のリアルタイム表示

1997年度H9

笠原 :部屋の残響時間の測定
中村 :ピアノ音の解析
町田 :シンバル音の解析に関する研究
小林 :遺伝的アルゴリズムの研究
寺井 :ニューラルネットワークの応用

1996年度H8

伊藤 :データロガーの開発に関する研究
木村 :アナログICテスタの開発に関する研究

1995年度H7

阿部 アナログIC特性測定の自動化に関する研究
新井 楽器音の波形解析に関する研究
金子 ウィグナー分布による楽器音の分析
中村 ゲームプログラムに関する研究ーオセロプログラムの開発
半田 インテリジェント計測器に関する研究

1994年度H6

市川 :フレーズの類似度を用いたコンピュータによる編曲
大出 :遺伝的アルゴリズムによるパズルの解法
桑原 :英文スペルチェッカと文法チェッカの作成

1993年度H5

石井 :コンピュータによる自動作詞作曲
関口 :知識をベースにした推論ー連珠プログラムの開発ー
池谷 :スタンドアロン型電子計測器の研究ーICテスタの開発ー

1992年度H4

池田 :自動作詞に関する研究
小堤 :暗号化によるデータセキュリティシステムの研究
大美賀 :自動作曲に関する研究
神山 :TRANSPUTERに接続可能なA/D変換器の開発

1991年度H3 電子制御工学科3期生・システム研究室(久保和良 助手)

大倉 :コンピューターによる推論
坂本 :CAIシステムに関する研究
篠崎 :ゆらぎの解析に関する研究

1990年度H2 電子制御工学科2期生・システム研究室(柴田良一 助教授)

茂木,山川 :C言語に関するCAIシステムの構築
笹沼,浅水 :コンピュータによる推論
吉森 :音声認識
※写真は「高専だより」から引用しました。

1989年度H1 電子制御工学科1期生・システム研究室(花崎泉 講師)

中川,中山,藤澤 :モデリング支援システムの構築に関する研究
秋山,山本 :フラクタルの可能性
石橋,大多和 :信号処理に関するCAIシステムの構築
※写真は「高専だより」から引用しました。

平成元年に発足したシステム研究室は,新学科のサイバネティックス研究室となりました。  

写真は新学科1期生の卒研発表の様子です。本研究室は「電子工学,情報工学,機械工学にまたがる分野」を担当しています。指導教員は信号処理・音響工学・計測工学などに実績があります。βコースの研究室ではありますが,もともとαとγ分野を統合した,横断的領域を扱う研究室として発足しています。工学を広く学びたい人,今までの勉強がしっくりこなかった人が学びなおす目的で参加してくれるのも大歓迎です。分からないことをわからないと言える人,人と違った見方ができる人,自分の意見を言える人が向いています。C言語と電子回路をベースにした活動をしています。広い方面,例えば文学,社会科学,物理工学へもアプローチをしています。

先輩からのメッセージ 通りがかりの犬です。ポンと言います。久保先生はとても優しくて,僕が咬んでも多少不機嫌になるくらいで許してくれます。今日は,餌を余計にもらえるというので,交換条件で写真の掲載を許諾しました。今は卒業して,大学にも会社にも行かずに,一日中好きなことをしています。毎日が愉快です。怪しい人が来ると,真っ先に威嚇して吠えることにより,地域の治安の維持に貢献しています。わん。(これはジョークだし,すぐに書き替えられるようです。笑いに理解のない人は,ここは見なかったことにして下さいね。)

久保研のゼミ(外部リンク) ゼミと研究 ←更新の下書きはこちらでまず試します。

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業績

  論文(査読付き),研究紀要特許 を抜粋して示す

  1. 久保和良,青島伸治: 16ビットマイクロプロセッサによる信号圧縮処理装置の製作と弦の残響応答, 日本音響学会誌,41-11, pp.799-805 (1985)
  2. 久保和良,青島伸治: Wigner分布をもとにした新しい残響曲線, 計測自動制御学会論文集,29-11,pp.1261-1268 (1993)
  3. 久保和良,青島伸治: 時間周波数分布を用いた残響曲線の再定義と一般化, 計測自動制御学会論文集,30-2,pp. 127-135 (1994)
  4. 久保和良,青島伸治: 楽器音減衰の分析手法に関する検討, 計測自動制御学会論文集,30-4,pp. 392-400 (1994)
  5. 久保和良,青島伸治: 残響応答によるピアノ音とギター音の減衰分析, 計測自動制御学会論文集,31-6,pp.712-721 (1995)
  6. 金野茂男,久保和良,ほか: 「新設」電子・情報・制御系学科の実験・実習の内容及び方法に関する調査研究-その1-工学実験・実習について: 論文集高専教育, 19, pp.204-211(1996)
  7. 南斉清巳,久保和良,ほか: 「新設」電子・情報・制御系学科の実験・実習の内容及び方法に関する調査研究-その2-情報教育実習について: 論文集高専教育, 19, pp.212-219(1996)
  8. Kazuyoshi KUBO: Instantaneous Parameter Estimation of Sine Wave by Differential Domain Sampling, Proceedings of the SICE Annual Conference International Session Papers,38-3, 311A-3, pp.1071-1076(1999)
  9. Kazuyoshi KUBO: Instantaneous Frequency Estimation from Sine Wave Samples, Proceedings of the SICE Annual Conference International Session Papers,39, CDROM ISBN4-907764-15-4, 112C-1, pp.1-6(2000)
  10. Kazuyoshi KUBO: Under-sampling Technique for Sine Wave Frequency Estimation, Proceedings of the SICE Annual Conference International Session Papers, 40, CDROM ISBN4-907764-17-0, 314A-2, pp.1-6(2001)
  11. R.Ishiyama, H.Kubota, and Kazuyoshi KUBO: Improved Algorithms for Estimating Sine Wave Frequency, Proceedings of the SICE Annual Conference 2002 in Osaka, CDROM ISBN4-907764-19-7, TA05-3, pp1614-1615(2002)
  12. Kazuyoshi KUBO: Concrete Algorithm for Estimating Unknown Frequencies of Triple-Tone Signals, Proceedings of the SICE Annual Conference 2003 in Fukui, CDROM ISBN 4-907764-20-0, TAI-3-1, pp1170-1173(2003)
  13. H.Kubota, K.Watanabe, and Kazuyoshi KUBO: Improved Algorithms for Reducing Estimated Error Produced by Sample Quantization and Additional Noise, Proceedings of the SICE Annual Conference 2003 in Fukui, CDROM ISBN 4-907764-20-0, TAI-3-3, pp1174-1177(2003)
  14. Kazuyoshi KUBO: Inductive Generation of Algorithms for Estimating Unknown Frequencies of Multi-Tone Signals, Proceedings of the SICE Annual Conference 2004 in Sapporo, CDROM ISBN 4-907764-22-7, TAI-8-2, pp503-508(2004)
  15. 久保和良: 帰納的生成法による多重正弦波の周波数検出アルゴリズム, 電気学会論文誌C,125-9,pp.1481-1490 (2005)
  16. 久保和良: 微分領域標本化による瞬時周波数と正弦波パラメータの推定法, 計測自動制御学会論文集,42-8,pp.845-853 (2006)
  17. Kazuyoshi Kubo: Algorithm for Detecting Frequencies in Multi-sine Signals by Inductive Generation, Electrical Engineering in Japan,160-3,pp.27-38,Wiley InterScience (2007)
  18. 久保和良: アンダーサンプリングによる正弦波のパラメータ推定法, 計測自動制御学会論文集,43-9,pp.765-773 (2007)
  19. 久保和良: 高専における計測制御工学教育-カリキュラム、中学生、JABEEを巡って-, 計測と制御,46-9,pp.692-696 (2007)
  20. 久保和良: 時間-微分領域標本による正弦波の瞬時的周波数表現, 電気学会論文誌C, 127-11,pp.1909-1917 (2007)
  21. 新井美保,志水勲,久保和良,小林春夫: サンプリング回路の解析, 電気学会 電子回路研究会, 講演論文集, ECT-13-041, pp.1-8 (2013)
  22. Miho Arai, Isao Shimizu, Haruo Kobayashi, Keita Kurihara, Shu Sasaki, Shohei Shibuya, Kiichi Niitsu, Kazuyoshi Kubo: Finite Aperture Time Effects in Sampling Circuit, Proc. IEEE 11th International Conference papers on ASIC, C2-4 [IEEE Xplore 4 pages](2015)
  23. Haruo Kobayashi, Isao Shimizu, Nobukazu Tsukiji, Miho Arai, Kazuyoshi Kubo, Hitoshi Aoki: Fundamental Design Tradeoff and Performance Limitation of Electronic Circuits Based on Uncertainty Relationships, Proc. IEEE 12th International Conference papers on ASIC ,0844 [IEEE Xplore 4 pages](2017)
  24. Haruo Kobayashi, Isao Shimizu, Nobukazu Tsukiji, Miho Arai, Kazuyoshi Kubo, Hitoshi Aoki: Consideration on Fundamental Performance Limitation of Analog Electronic Circuits Based on Uncertainty Principle, Proc. International Conference on Mechanical, Electrical and Medical Intelligent System 2017, KL-01 [Elec.pub.](2017)
  25. Yukiko Shibasaki, Koji Asami, Anna Kuwana , Du Yuanyang , Akemi Hatta, Kazuyoshi Kubo and Haruo Kobayashi: Study on Multi-Tone Signals for Design and Testing of Linear Circuits and Systems, Proc. of 2nd International Conference on Technology and Social Science, Session 03 [Elec.pub. 17 pages](2018)
  26. Yukiko Shibasaki, Koji Asami, Anna Kuwana, Kosuke Machida, Yuanyang Du, Akemi Hatta, Kazuyoshi Kubo and Haruo Kobayashi: Study on Multi-tone Signals for Analog/Mixed-Signal IC Testing, Proc. 5th International Symposium of Gunma University Medical Innovation and 9th International Conference on Advanced Micro-Device Engineering, P085 [Elec.pub.](2018)
  27. 柴崎有祈子, 浅見幸司, 桑名杏奈, 町田恒介, 杜遠洋, 八田朱実, 久保和良, 小林春夫: アナログ回路の短時間・高品質試験用マルチトーン信号の検討, 電気学会, 電子回路研究会講演論文集, ECT-18-089 [Elec.pub.](2018)
  28. Kazuyoshi KUBO, Saemi KUBO, Yuuka KUBO: A research subject suitable for summer vacation of junior high students, Part 1 – Measurement of the Fletcher Munson Curves, Proceedings of TJCAS2019 selected papers (IEEE WiCAS/YP), S-01, International Conference TJCAS in Nikko [Elec.pub.1 page](2019)
  29. Saemi KUBO, Yuuka KUBO, Kazuyoshi KUBO: A research subject suitable for summer vacation of junior high students, Part 2 – Resonant frequency of blow sound of empty can, Proceedings of TJCAS2019 selected papers (IEEE WiCAS/YP), S-02, International Conference TJCAS in Nikko [Elec.pub.1 page](2019)
  30. Yuuka KUBO, Saemi KUBO, Kazuyoshi KUBO: A research subject suitable for summer vacation of junior high students, Part 3 – Extended study of four fours problems, Proceedings of TJCAS2019 selected papers (IEEE WiCAS/YP), S-03, International Conference TJCAS in Nikko [Elec.pub.1 page](2019)
  31. Kazuyoshi Kubo, Mitsuomi Ideo, Masato Kasahara: A Case Study of Engineering Education Through Renewing the Course Experiment in the New IEEE Department at NIT(KOSEN) Oyama College, Proceedings of TJCAS2019 selected papers, Circuit Theory, 1C-03, International Conference TJCAS in Nikko [Elec.pub.1 page](2019)
  32. Kazuyoshi Kubo: Discussions on the problem of profoundly mistaken Tendency of the SI Unit Expressions in the Field of Electricity, Proceedings of TJCAS2019 selected papers, Measurement/Image Processing, 4C-02, International Conference TJCAS in Nikko [Elec.pub.1 page](2019)
  33. Motoki Awano, Ryo Matsuyama, Tsukasa Kogusuri, Shuichi Arai, Kazuyoshi Kubo: Measurement and Evaluation of Reverberation Times of Oyama College Lecture Rooms by Impulse Response Method, Proceedings of TJCAS2019 selected papers, Measurement/Image Processing, 4C-01, International Conference TJCAS in Nikko [Elec.pub.1 page](2019)
  34. Ryo Matsuyama, Kouta Kashiwagi, Hiroshi Aoyagi, Shotaro Ono, Kazuyoshi Kubo: A Trial on Estimating the Date of Old Books with Spectrophotometer, Proceedings of TJCAS2019 selected papers, Measurement/Image Processing, 4C-05, International Conference TJCAS in Nikko [Elec.pub.1 page](2019)
  35. Kouta Kashiwagi, Motoki Awano, Katsuya Tashiro, Kazuyoshi Kubo: A Basic Study on the Color Mixing Trace Lines in the L*a*b* Color Space, Proceedings of TJCAS2019 selected papers, Measurement/Image Processing, 4C-06, International Conference TJCAS in Nikko [Elec.pub.1 page](2019)
  36. Yukiko Shibasaki, Koji Asami, Anna Kuwana, Kosuke Machida, Yuanyang Du, Akemi Hatta, Kazuyoshi Kubo and Haruo Kobayashi: Crest Factor Controlled Multi-Tone Signals for Analog/Mixed-Signal IC Testing, Proc. IEEE 3rd International Test Conference papers in Asia, ITC-Asia, pp.7-12 [IEEE Xplore 6 pages](2019)
  37. Yuanyang Du, Xueyan Bai, Manato Hirai, Shuhei Yamamoto, Anna Kuwana, Haruo Kobayashi, Kazuyoshi Kubo: Digital-to-Analog Converter Architectures Based on Polygonal and Prime Numbers, Proc. 2020 International SoC Design Conference (ISOCC), pp.7-8, [IEEE Xplore 2 pages](2020)
  38. Jianglin Wei, Anna Kuwana, Haruo Kobayashi, Kazuyoshi Kubo: Revisit to Floating-Point Division Algorithm Based on Taylor-Series Expansion, Proc. 2020 IEEE Asia Pacific Conference on Circuits and Systems (APCCAS), pp. 240-243, [IEEE Xplore 4 pages](2020)
  39. Jianglin Wei, Anna Kuwana, Haruo Kobayashi, Kazuyoshi Kubo, Yuuki Tanaka: Floating-Point Inverse Square Root Algorithm Based on Taylor-Series Expansion, IEEE Transactions on Circuits and Systems II: Express Briefs, [IEEE Xplore](2021)
  40. 久保和良,青島伸治: 並列ディジタル信号処理装置の開発, 小山工業高等専門学校研究紀要,24, pp.167-176(1992)
  41. 久保和良,井手尾光臣,池谷友仁: スタンドアロン型汎用ロジックICテスタの開発と評価, 小山工業高等専門学校研究紀要,27, 145-154 (1995)
  42. 石山亮,灘谷演,久保和良: 周波数推定法による推定誤差の検討, 小山工業高等専門学校研究紀要,33, pp.113-114(2001)
  43. 高橋義明,久保和良: リアルタイムスペクトルアナライザの開発, 小山工業高等専門学校研究紀要,33, pp.115-116(2001)
  44. 久保和良: 量と単位をめぐる問題と討論, 小山工業高等専門学校研究紀要,41, pp.123-132(2009)
  45. 久保和良: 技術者教育と文学-漱石「こころ」と科学随筆を起点として-, 小山工業高等専門学校研究紀要,42, pp.109-118(2010)
  46. 久保和良: 技術者教育と文学-ハイパーリンク手法を用いて文学と科学への好奇心を広める方法-, 小山工業高等専門学校研究紀要,43, pp.119-128(2011)
  47. 久保和良: 技術者教育と文学-文学・作家から情報・哲学・倫理を経由して工学システム概論へ-, 小山工業高等専門学校研究紀要,44, pp.127-136(2012)
  48. 吉田隆,久保和良: 多ポートメモリ制御装置, 特許庁公開特許広報, 特開昭64-27088 (1989.1.30.)
  49. 久保和良: FFT演算装置, 特許庁公開特許広報, 特開平1-99170 (1989.4.18.)
  50. 久保和良: 信号入力装置, 特許庁公開実用新案広報, 実開平1-79136 (1989.5.26.)
  51. 久保和良,小室貴紀: アナログデジタル変換器, 特許庁公開実用新案広報, 実開平1-171132 (1989.12.4.)
  52. 久保和良,小室貴紀: アナログデジタル変換器, 特許庁公開実用新案広報, 実開平1-171133 (1989.12.4.)
  53. 吉田隆,久保和良: FFT演算装置, 特許庁特許広報, 特許-1905276 (1995.2.8.)
  54. 久保和良: FFTアナライザ, 特許庁実用新案広報, 実用登録-2104936 (1996.2.21.)
  55. 久保和良: FFTアナライザ, 特許庁実用新案広報, 実用登録-2104956 (1996.2.21.)

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資料その他

プチギャラリー 気がついたら,昔語りをする年齢になっていました。記録は残さないといけないと思います。よい記録,悪い思い出,すべてが,より良くなるための,今よりも明日をよくするための記録です。

学生からの贈り物

私が小山高専に着任した1991年,通年科目の「情報理論」を4年生に講義した。この年は電子制御工学科の教員10名体制が始まった年で,一番充実しているときに,やる気のある学生に巡り合った。特に4D学生たちは,新米の教師に理解があった。有難いことである。寮の宿直をすると,のちにS社の研究所長となるG君が,先生方の動向を事細かに教えてくれた。制御工学の黒須先生は2次系の教育に油の中に毛の生えた球を振動させて金冷法を教えて下さるとか,計測工学の田中先生はミドレンジャーと呼ばれているよとか,歴史の村尾先生は二日酔いでアルコールが抜けずに1限から講義されるので,教卓で意識が抜けてゆくスリルの中で緊迫感のある授業を展開するよとか,国語の小林先生はエッチな教材ばかり用意して,それが格調高くためになるよ,などである。学生は,よく見ているのだなあと思った。情報理論を講義して,あの数式の変形についてこれたのは,着任後数年間だけだったと思う。数式の背後にある意味合いを説明すると,それに半数以上の学生がついてこれた時代である。その背景には専門的数学の基礎が確立されている学生たち,その水準の高さを維持した数学教員の方がそろっておられたと思う。写真は1991年の工陵祭で,学科のハッピを学生が作ってくれた,その背中の手作り感満載の図柄である。この中に私もいる,学生はよく教師を見ている。これが嬉しかった30年前の記憶は,今でも新しい感慨を呼び起こしてくれる。

私が着任したころの小山高専

小山高専は,のんびりしていました。そして,授業は真剣におこなえて,研究したい時に研究ができました。普通に研究も教育もできていたし学生の厚生補導も学校運営もできていた。学生は学生らしく,中間試験が終わると教室で音の出る花火を飛ばすし,図書館棟の道路側で学ランを着た学生たちが談笑しながら喫煙していた。初年度は着任者に100万円の援助金のほかに教員平等の70万円ほどの研究費が使えた。だから,着任後3年で4本の査読付き論文が書けたし,毎年学会の全国大会で発表ができていた。F事務官から科研申請を書いてくださいと言われ,予算は足りていると断ったが,自分の手柄を増やしたいんですと,あからさまなことを言われた。半年を申請書作成に費やし,申請が通らなかった,F事務官は「やっぱり高専教官じゃ無理だよね」と吐いて捨てるように言った。科研申請のために学位申請を1年見送った代償が,この仕打ちでした。そして出世したF庶務係長は私の身分証明書を作って置きながら,机の引き出しに隠すような意地悪をしました。前向きに頑張る研究者を潰すビューロクラットの伏魔殿,それが着任当初の小山高専の印象です。しかし,そのおかげで博士号を江崎玲於奈博士から授与されることになる。大事なことは,小山高専では,年間100万円も配っておけば,毎年それなりの研究成果を出す能力のある研究者を雇っているということです。しかし今は研究費が10万円ちょっとです。昔のやりがいのある高専は,機構に取り上げられました,しかし学生は,私には好ましいように思える,それは着任して以来30年,変わっていない。写真は左から瓢箪池の南側の丘(現在専攻科棟が立っている場所),工陵祭でロボコン出場ロボットを南斉先生と眺めているところ(後ろは現在の4R教室),電子制御工学科棟の正面玄関で鹿野先生と学生たちと一緒に。

本校最初のシラバス 1992年春から始めた私の前例のないシリーズ

1991年に小山高専に着任して,まじめに講義をした。エアコンがなくても,インターネットがなくても,熱意で何とかなっていた。まじめな講義が嫌いなタイプの学生も,それなりによく頑張っていた印象がある。彼らを見て当時思っていたことは2つ。第1に,頭の良い子が低空飛行を始めるケースが少なくない。自分がいかに悪いかを無邪気に自慢する様だ。これは残念なことだが,頭がよいので赤点ギリギリ上を飛ぶことができる。ある意味素晴らしい能力ではある。第2に,最初に始めることを恐れる学生が多い。だから私は,良いこと悪いこと,初めにやった学生を褒めることにしている。最初に髪を染めてきた学生に,やあ素晴らしいねえと声をかける。その学生はあんぐりしてしまう。初めにやった人は,とにかく偉いのです。2番煎じではだめだ。しかし昨今は,最初のフォロワーが最もムーブメントに貢献するという説もある。さて,前例のない活動,着任初年度に始めた一つがシラバスを作ることでした。これは学校のためではなく,学生のために必要だと思ったからです。金野先生が似たようなことをしたと聞きましたが,冊子が残っていないのです。(※後日追記:I技術職員と雑談の途中,金野先生の冊子は自分が実習用パソコンで入力しました,と伺いました。お二人の証言があるので,確かに存在したようです。その現物は残っていないということでした。したがって,ここで話しているのは,現存する最古のシラバスの話です。)それとは独立に,私は学科同僚にお願いして回って,初年度はなかったシラバスを翌年度から自主出版して学生に配りました。1992年度,1993年度,1994年度。これに目をつけた校長先生が,国専協で「本校にはこんな取り組みがある」と自慢されたらしい,迷惑だ。私は学生のために働いているので,学校のために取り上げられるのは不本意です。しかし1995年度からは学校ぐるみのシラバスが作成され,私の孤軍奮闘は3年で終わりました。先日,教務の若い職員さんがお越しになって,先生,K君ご存知ですかって言う。ああ,彼は優しいにこやかな男でねえ,点数とるのは苦手だったけど,よく覚えていますよ。職員さんの驚くこと。そうだね,私はもう若くないので,昔話を語るる役目柄になっているんだね。そのK君が資格取得のために,科目シラバスが必要になったというのですが,そんな昔のはないですよねえ。私は言った,いや,ありますよ!汗水たらして学生と一緒に作ったシラバス,手品の様に出してみました。写真がそれ。楽しそうでしょ。

最初の全員向けC言語教育 教室で始めた私の前例のないシリーズ

小山高専に来たとき,情報理論担当として着任したので,プログラミングも担当するように言われた。情報の授業と,コンピュータの授業は,別モノなんです。当時からこの辺の理解が進んでいない。1991年当時,ちょっと時代遅れのパソピアBASICを教育標準に使っていたので,全面的にC言語の標準教育に改革した。これには周囲からずいぶん非難されたが,今思うと間違っていなかったと思う。群馬高専で開かれた情報教育会で話すと,そんなことして大丈夫ですか,と,私の進退問題まで心配された時代でした。悪いことは何もしていない。30年たっても,まだ使えている言語ですね。
話は学生時代にさかのぼる。自分は卒研でDECのPDP11のアセンブラを使い,それを測定現場に持ってゆけないからZ-80をはんだ付けして自作コンピュータで高速フーリエ変換を走らせた。機械語である。その後,MZ-2000(Z-80),次はAnritsuPacketIIe(MPU68000)を使った。1985年,会社に入って研究部門に配属されると,当たり前のようにC言語だった。機械語とBASICですべて間に合わせていたので,当初は面食らった。先輩に参考書を紹介してほしいとお願いすると,カーニハンとリッチー(いわゆるK&R)のCしかないと言われた。写真の左からPDP11,MZ-2000(Z-80)とパソピア,AnritsuPacketIIe(MPU68000)とApple SE/30,唯一のK&RのCの参考書。余談ですが,2年目の卒研生のチョイ悪のK君に「先生,C言語の参考書はないんすか」と訊かれて,「はじめてのC」をゼミで使うことに決めた。K君は「それ,本屋で買うんすか?」って言って,真っ赤になって嫌がった。
いちどC言語に慣れると,その便利さは計り知れない。高級言語なのに,アセンブラの記述とハードウェアが把握できる。BASICやFORTRANのように,スパゲッティにはなりにくいし,禁断の再帰関数も,アセンブラに頼らずに書ける。OSを書き換えることさえできる。教育上のネックは,フローチャートであった。構造化しないことで,学生がつまずくのである。NSチャート(ナシ・シュナイダーマン)と日本製のPADの利点をとり,PADで授業をした。しかし結局はC言語で構造化を身に着けたほうが手っ取り早かった。つまり,コンピュータ言語も,構造化チャートも,すべてC言語教育でできてしまった。
授業でC言語を標準で使うようになると,コンパイルの手間が学生を悩ませた。そこで情報センターのVZエディタのマクロでカスタマイズした,BASICインタープリタ風コンパイラ等号環境もどきを作ってしまった。ゴールデンウィークに,一人黙々と完成させて,授業で利用した。これを辻技官が取り上げてくださって,C言語開発環境として全学科用に展開してくださったのはありがたかった。
C言語を使うOSは何でもよい。Multics,Unix,VMS,MS-DOS,CP/M,OS/2,OS-9,窓ズ,iOSと,いろいろと使ってきたが,C言語はそのどれとも相性が良い。PDP11とかVAXの時代の人間なのでエディタは軽いほどよい。DOSのコマンドラインが一番気楽,少し複雑になるとEDLINが現場作業では重宝した。もっとも現場でのソフト修正は,エディタなしで直接機械語を叩いてしまうのが,一番早かった。私はソフトが目的ではなく,信号処理が目的だったので。研究室ではMIT産の@teco(Text Editor and Corrector)やvi,その子孫のEmacsなどもなじんだが,離れると使えなくなった。@tecoだけは,いまだに無性に使いたくなることがある。スクリーンエディタの良さは勿論知っているが,当時はそれほど良いディスプレイ端末はなかった。テキストラインなのに,スクリーンエディタとして使えるOS-9のscredが,最も軽くて使いやすかった。C言語を代表とする多くのコンピュータ言語は,3構造(逐次処理,条件分岐,繰り返し)を如何に使いやすくするかがカギである。何を使っても良い。例外はデータフローマシンなどの非ノイマン型を使ったときくらいである。一方,並列処理を加えた4構造に対応する言語で,使いやすかったのはOccamのみである。専用のフォールディングエディタは,かなり使いやすかったが,突然消えた。イギリス国家プロジェクトTransputerを実現するホアのCSP理論が静かになってしまって,まあ拡張性に乏しいプロジェクトだったんですが,OUG(Occam User Group)会員の私は黙って消えたOccamには呆気にとられます。Occamがないとすれば,C言語が私の中では万能かな。並列記述ができるとなおよいのですが,今のCコンパイラは,オプティマイザが勝手に並列展開してくれますね。これは,ハードを意識してC言語で書きたい私にとっては,余計なお世話;迷惑千万です。最近はPythonなどを好む人も多いけれど,悪くはないが食指が動かない。
K&Rのプログラミング言語C,その翻訳者は,私の高校の先輩の石田晴久先生,高橋秀俊先生門下で,村井純先生の上司です。

黒川真幸先生と

黒川真幸先生は,小山高専開校と同時に着任された柔道の先生です。保健体育のご担当のほか,ドイツ語も担当された様です。先生は,1964東京オリンピックで柔道を誘致したグループのお一人で,アントンヘーシンクの日本での練習調整相手を務めたそうです。先生とは将来構想委員会でご一緒したのが始めてでしたが,とても優しく懐の深い先生でした。退官のころ,直接お聞きしたこと,「技術者である前に人間であれ」は,本当に初代校長がおっしゃったんですか,まことに見当違いな質問だと思った瞬間,先生はこうおっしゃった。「島津校長は,そんなこと,言わなかったですよッ。あれは後の人が作った言葉なんだ」きりっとした厳しい表情である。えっ? 島津校長は「先ず豊かな人間性を」と仰ったことを教えてくださった。色々な人の都合があるので,なんでも真実を追求しないほうがよいこともあります,とも。別のとき,ある事件をきっかけに「先生を誤解してました」と言って若い私が謝ると「いえいえ,皆さん,よく私を誤解しておられます」と仰って,愉快そうに笑ったあのお顔が忘れられない。手紙のやり取りが続いたが,いつの日からかご返事がいただけなくなった。返事の来ない年賀状は,毎年お送りしている。

筑波大に編入した初めての高専生

小山高専に勤め初めの年の秋,筑波大学で研究指導してくださった青島先生から連絡が入った。基礎工学類長の鈴木哲郎先生から筑波大学も高専の学生を編入で入学させたいと相談があった,久保君なら相談に乗ってくれるでしょうと答えたんだが,力になってくれるか。実は進路の決まっていない進学希望者が金野先生の研究室にいた。早速彼を連れて,筑波大学の学類長室を訪ねた。初年度なので,気心が知れた近隣3高専にしか声をかけない。軌道に乗れば,全国高専に応募をかけるが,何しろ前例がないので教育システムも整っていない。たまたま金野先生は,朝永振一郎先生の孫弟子,筑波大の馬淵先生の門下だったので,話がトントン進んだ。もちろん入学試験と面接はあった。しかし,試験標本になった学生も,初めての高専からの入学を軌道に乗せる鈴木先生も,お互いに願ってもない話だったのである。鈴木先生が,私の学生時代の担任だったのも幸いした。このようにして,全国高専のうちたった3人が,初めての筑波大編入者になった。もう30年も前の話だから時効。歴史を作るとき,チャンスを受けとめる状態にあって,人の縁があるという啐啄は大事です。写真は青島先生の還暦のお祝いでのスピーチの様子です。

小山高専とのご縁

会社を辞めて大学院に復学して,博士論文はもう少し時間がかかりそうだった,自分は1年留年するつもりであった。東京大学の任期付きの助手の話や,ちょっと遠い大学の話もあることにはあったが,丁重にお断りをした。指導教官の「高専からTrans.SICEに公募があるよ」の一言で,小山高専に目が向いた。研究をしながら教育ができる。応募して面談を受けた。窓口はシステムプログラミングの柴田良一助教授であった。お目にかかりにやってきたのが,ご縁の始まりである。柴田先生は大学の先輩である。公募の人事ははもう決まったらしい(後になって笠原先生と知る)。それでも,よかったら面接を受けないか,着任したら僕の部屋を使っていいから。妙な話だと思ったが,主任教授の前田先生と雑談をして,徳平校長とも雑談をして,その場で内定をいただいた。その日のうちに神林人事係長からの提出書類の指示があった。柴田先生が名古屋の大学に移るのが決まったばっかりで,ちょうど穴を埋める役だったようである。システム研究室は,初年度は花崎泉先生が,2年度は柴田良一先生が担当された。それをまるまるパソコン付きで譲っていただいた形である。したがって,花崎先生の情報理論と,柴田先生のシステム工学を,助手でありながら講義することになった。助手の枠しか用意できないが,助教授の仕事をしてもよいから,と言われたのは,ポストにこだわりのない私にとっては,嬉しい話であった。写真は前田主任教授,大変に人格の大きな先生だったが,校長室ではずいぶんとかしこまっておられた。「教育の方は私が何とかするから,学位を急いだ方がよいですよ」と仰っていただいたのも前田先生だった。聞きにくいことも気さくに聞ける先生,前田先生は小山高専における私の大恩人である。

電子制御工学科の絶妙なバランス感覚 電子のみならず工学を教える布陣

勤務初めに,佐藤太一先生から次のように聞いた。電子科は10人教官体制で維持する。4人を物理担当とし,そのうち2人は物性物理担当(金野,鹿野先生),2人は通信物理担当(佐藤,渡邊先生)とする,そのほか2人はコンピュータハードソフト担当(西野,南斉先生),4人は制御担当で,そのうち機械系制御2名が制御工学と数理を(金原,笠原先生),電気系制御2名が制御理論と情報システムを(前田先生と久保)が担当する。私が着任した1991年に念願の定員を充足した,とのことであった。なるほど,絶妙なバランス感覚である。電子工学のみならず,「工学」というものを最小人数で教えている布陣。今でもこの感覚は,忘れないでいる。写真は佐藤太一先生,電子制御工学科を作ってしまった先生である。この電子制御工学科は,2つの学科(機械工学科と電気工学科)の連合学科である。電気学科から作ったなどという先生も居られるが,大間違いである。その証拠に,3教授は機械工学科から金原教授,電気工学科からは佐藤教授,外部からは防衛庁から前田教授というバランスの良さで始まっている。電子制御工学科棟にはシンボルのカセグレンアンテナを備え,当時最先端の電波暗室とクリーンルーム,学科専用のパソコン室などがあり,人事,設備ともにバランスよく充実していた。佐藤太一先生は早くから情報センター長を務められて,群馬高専で行われた情報教育従事者の関東甲信越にご一緒させていただいた記憶がある。持ち前の気さくさと人望で,すでに東の高専の中心的人物として迎えられていたようである。毎年夏に電子制御工学科棟4階パソコン室で市民向けのパソコン講座を開いており,私はその講師にしていただいて,講義のあるべき姿を学ばせていただいた思い出がある。

1993年度3年次 初めての担任

彼らとは,同じ年に小山高専に入った。1993年度3年次,新米担任に「先生,子供みたいなことをやめてください!」と言った彼らを,気に入った。担任らしくない担任,学生がしっかりしていることで成り立っていたクラスである,それが自分には嬉しかった。このクラスからは3組が結婚している。報告の年賀状をいただいて,その時自分は入院していたので,おめでとうの返事を書いて,投函を待たず退院し,緊急再入院,そのどさくさに紛れて失くしてしまったことを白状します。申し訳ないことをしたと思っている。3年次にはジハンジという留学生がいたけれど,本人は南国の高専に行きたかったということで,大使館案件で熊本電波高専に転出させた。3年で元気の良かった学生が退学したのはショックであった。高校生が4年次編入試を受けて3名が合格点であった,しかし古い規則で「クラス定員の上限は47名」ということで,担任が頑張っても2名しか編入の許可をもらえなかったのは辛かった。佐藤太一先生と一緒に「原則として47名」という文言に規則を改正をした。4年次からは,全員留年させないと宣言して「上の学年からは何人でも留年してもらう」と冗談まじめの宣言をしたが,判定会議では苦しい場面もあった。しばらくは一番多くの学生を卒業させて記録を維持できていました。私は卒業式の謝恩会での全教官スピーチを,ずっと辛く思っていた。教員が全員スピーチが好きだと思ったら大間違いである。それなので,学科始まって以来,教官全員のスピーチをやめさせた。それ以来,謝恩会でスピーチは担任と学科長のみの伝統と歴史を作った,料理を楽しめるようになった。卒業後,しばらくして1人は自動車事故で亡くなった。悲しい出来事ではあったが,それでもみんな元気でやっているのだと信じている。
ある日の放課後,3D教室に行くと,A君とIさんが2人っきりで赤い顔をしていたので,早く帰れと言った。卒業後,2人は結婚して,赤ちゃんを連れてきた。抱っこさせてもらった,その子が,のちに新学科に入学して,4年で卒業した。新手の高専台風一家である(あえてこの漢字を当ててみる)。写真は2017年の台風両親。このクラスが良かったので,そのあと高専をやめもしないで,教員生活を続けている。教師だけにはなりたくなかった私を,教員にしてくれた恩人は,彼らです。

1994年 博士号授与式での江崎玲於奈先生

自分が撮影した江崎先生の写真がないので,フェイスブックに投稿したブックカバーで失礼します。【挨拶をするとき上から見下ろすことはしない】,この内容でFB投稿した内容を少し改定して,ここに置きます。 小山高専の職に就いて4年目、江崎玲於奈先生からお便りをいただいた。来て欲しいとのことだった。いわゆる学位記授与式への出席である。自分は仕事をしながら論文を書いたので乙種。修士も博士も乙は珍しい。 当日、江崎先生は、大学会館小ホールの一番「低い」ところに燕尾服で立って、このようなことをおっしゃった。「皆さん、おめでとう!」「私の仕事は紙切れを渡すことではありません。業績を上げた皆さんと握手をしたい。少しだけでもお話しさせてほしい。お名前を呼びますから、お手数でも私のところまでお進みください。」やがて私の名が呼ばれ、江崎先生と握手を交わして、実るほど首を垂れる笑顔の先生と2・3の言葉を交わした。「おめでとう,どのようなお仕事をされましたか」から始まる研究者としての数分の雑談,小柄で気さくな普通のおじさんだった。立派な人ほど普通で偉ぶらないことを、これまで何人も見てきた。 高校3年の物理で、東京通信工業(現・ソニー)でのトランジスタ開発,純度の高い半導体の仕事は定時まで,5時を過ぎると信念をもって純度の低い半導体を追及し,トンネル効果を発見,ノーベル賞をとった方だと聞いた。それ以来、一生に一度でいいからお目にかかりたいと思っていた。憧れは、突然に実現するものだ。 一通り握手が終わると、告辞に代えて「ノーベル賞をとるためにやってはいけない5か条」を皆様に「だけ」お教えします、と仰った。5つ、確かに教わった。これを知っているのは我々「だけ」だ! その3年後、ちゃっかりこの本を書いて、私たち「だけ」に教えたはずの5か条が漏えいしている。後でわかったことだが、私たちに教えてくださった3か月後には、リンダウノーベル賞受賞者会議へ5か条を提言していたから、油断がならない。 博士号の学位記は紙切れ扱いされ、会場出口で事務の方からビラ配りのように渡された。 私は日頃の教室で、学生がいつの間にかノーベル賞に近づくようにと願い、この5か条を、授業中に気付かれないように仕掛けている。江崎先生からは,握手した数分間で人としての基本を教わったので、とても感謝しています。
思うのだが、おめでとうを言うのは、同じ高さが礼儀だな。できれば下から申し上げる気持ちがないとダメな。挨拶の基本は、上から配るようなことをしてはダメだな。心を込めると、そういう判断になるよな。小山高専で、管理能力のない校長が始めた始業式での担任紹介、ステージに無理やり昇らされるのは、これはあいさつに反すると思う。軍隊か中学教師か,高いところからペコリと頭を下げるのは、挨拶として無礼だろう。だから、私はステージの上から頭を下げるようなことはしない。仕方がないから名前を呼ばれたら手を振ることにしている。これを嫌がる年長教員は少なくない。人事上の不利益を被っても、私は信念を変えない。 学生の前で、ことの理非曲直を糾す。少なくとも、これからの貢献年数が自分よりも長い学生を前にして、横並びに無礼をするのは、人の礼儀ではない。こういう教員を活かす学校か,潰す学校か。学生の皆さん,よく見るとよい。

着任直後から参加した将来構想検討委員会

着任して半年後くらいだったろうか,佐藤太一先生から,将来構想検討委員会に電子科の代表として出てほしいと言われた。よくわかりませんというと,だから久保さんに頼むんだとおっしゃる。この委員会は,校務分掌には載らない。校長から諮問があると立ち上がり,答申をすると解散する。そのような案件が次から次へと起こるので,面倒なので私が学科代表で10年も担当してしまった。具体的には,小山高専のキャンパスプラン,女子寮の設置,専攻科の設置,専攻科棟の設置,技術職員の立場の確立,学生のあるべき姿,小山高専の学校色,など,話題は尽きない。いつか語らないと,記録が残らないので記しておきたい。私は前例のない仕事が向いているので,まず軌道に乗せるこの委員会に適任だったと思う。一度軌道に乗ると,私は引っ込んでしまう。そして,保身的な野心のある方々が集まってきて,やりたい放題食い散らかしてしまう。実は最初に何かを始める,この抵抗の強い仕事の段階が,保身心のない,野心のない自分には一番合っていた。この委員会のメンバーは年齢も役職もバラバラ,発想力が勝負なので,年齢の若い私にも対等の発言力が与えられた。そして,この委員会のメンバーは,転出者を除き,私を除くと,皆さん運営委員会のメンバーになっており,特に副校長クラスまでゆく人が多い,私を除いて。印象深い仕事をいくつか列挙する。専攻科棟が設置されたということは,その高専にキャンパスプランがあったという前提がある,このキャンパスプランを早い段階に策定した。小山高専のキャンパスは現在の食堂前から専攻科棟東を通り,電電棟を右に見て,体育館に至る,その通りをメインストリートとする。来客は左に生活空間とグラウンド,右に学びの空間と研究施設が並ぶ配置である。この答申が出されて,専攻科棟が立つと,答申は消される。黒川先生が委員長の時には,本校の学生教育のあり方が諮問された。意見がまとまらないので,私が全部預かって,事務方の欲する内容で答申しようとした。黒川先生が子供のような笑顔で「桜は見上げられるから高貴なのであって,小山高専の卒業生も桜のように見上げられる存在たれ」というような一文を入れてくださいと仰った。勿論そのような文言を入れた答申になった。別の機会には本校のすべての部屋に番号をつけて,案内要らずのキャンパスにしようという発言が尾立先生からあった。その際に,本校のカラーと各学科の異なるカラーを決めようということになり,電子制御工学科のカラーは私の好きなオレンジを採用していただいた。本校カラーとして制定された色は,えんじ色ではなかった。制定されたのは,別の色だったんです。この答申に山口校長先生は大変気に入っておられて,学校色が制定された。50周年記念式典で策定されたえんじ色は,この委員会活動を知らない人によるものである。そして,苅谷校長は紫がかった赤を学校色にしてしまった。写真は山口校長先生。話題はつづく

将来構想検討委員会から専攻科設置

将来構想検討委員会に電子科の代表として出てほしいと言われ,私は前例のない仕事が向いているので,年齢による上下のないこの委員会で多くを提案した。専攻科設置の諮問に関しては,2年度に亘って答申している。初年度は森田先生が委員長で,学内に反対の多い専攻科を設置すべきとする答申をした。記憶に濃く残っているのは,すでに専攻科設置が済んでいる高専を訪問して,報告しようという活動があった。私は森田先生と一緒に仙台電波高専を訪問した。山田竹實校長からの第一声は,「建築科の高橋先生はお元気でしょうか」であった。小山高専の高橋先生のお父様が3代校長,山田先生が4代校長,その時同席された教務主事の渡辺英夫先生が後に5代校長になられた。専攻科のお話を伺い新幹線で小山駅に着く。森田先生がヨーカドー隣のうどん屋でごちそうしてくださった。森田先生の話はこの辺は昔粉屋さんでね,から始まり,電機業界の話,中国の業界の話,とても奥の深い先生であった。今日はごちそうしますから,あなたが偉くなったら若い人にご馳走してあげてください,と言われた。頭が下がる思いである。その年の専攻科要求は通らず,2年目の委員会は委員長が奥山先生で,初回からケーキがふるまわれた。高田会計課長は専攻科が設置されるのは高専が大学になるステップなんです,と仰った。その後課長さんは福井に転任され,小山高専が大学になる話はどこかに行ってしまったようだ。しかし,その年に専攻科設置の内諾があって,私はそこで手を引いた。のちに専攻科準備委員会が設置され,金野先生が事実上の設置責任を負うことになった。遅れて柴田先生もご一緒したが,先生はテクノロジストを本校思想に根付かせた大物である。そのころ,私は技官の独立を言い始めた。これには理由があって,本校技官(現在の技術職員)は学生課事務の下の組織であった。これは「技術者教育の小山高専」にはそぐわないと考えたからである。通産省のように技官が研究を主導するべき,学生は技術者の先輩を見習って育つもの,外部経験のある私には,技術職員の事務員的扱いに我慢がならなかった。これを受けてくれた奥山先生も大きいが,私の発言は陰で技官の待遇改善と揶揄されたし,会議の席上で総務課長が「あんたは特定の技官と結託してるんでしょう,黙りなさい」と怒鳴られたのも随分器の小さな課長だなと思った。本校人事をつかさどる長が若造を怒鳴りつける雰囲気,このパワハラが,小山高専の大きな特徴であった。新しいことをしようとすると,必ず叩こうとする人がいる,私もさすがに精神的にやられて会議で声が出なくなったことがある。結果的に別の方に手渡すと,話はどんどん膨らんで,現在の技術室の自治につながったのは嬉しいことである。私は技術職員の力を高め,「技術者教育の小山高専」の精神に忠実にありたかっただけです。実はこの将来構想検討委員会にはその後の闇があって…,これ以上はやめておきましょう。いつでもしゃべれるんですけどね。現在の総務課長さんはとても優しい方なので,学生の皆さんはおびえなくて大丈夫です。よい写真がないので,当時の授業風景を貼ります。

専攻科設置からJABEE試行審査

将来構想検討委員会の2度目の答申に沿って,専攻科が設置された。次に専攻科棟の設置だが,これは山口校長の辣腕が振るわれた。将来構想検討委員会では専攻科棟を建てることを答申し,建設位置は現在のイルミネーション樹の場所に決定すべしと書いたはずである。一度答申が校長に渡ると,設置のみが受諾され,場所は現在の所に変更された。委員会での意見は,現在の専攻科棟の位置,あの場所は瓢箪池があって学生たちに最も親しまれているので,除外されたのであるが。次に管理棟3階が2年生教室だった時,私はプログラミングの授業をしながら,専攻科棟の基礎工事の穴の深さを見ていました。表面タイルは指で抜き差しできる作りになっていたのを見た,いまだになぜ落ちないのだろうと,とても疑問なのである。専攻科の設置が1999年度,その前の年に初年度の入試が行われた。機械,電気,電子を1コースとして電子システム専攻と称したのは,私が電子科にいたことを気遣っていただいたものと承知している。その代り,教員の定員増は電子科だけが見送られた。初年度の入学生は,受験時点では専攻科設置の予定としか言われていない,とても不安な受験だったと思う。新しい取り組みは4月になってからでないと絶対とは確定できないものである。しかし,受験科目が選択制で電気,電磁気のほか制御,情報などがあった時代である。初年度面接は3学科から教員一人づつが出て,私も担当した。というのは,高専の雰囲気として,仕事の増える専攻科を嫌う先生方が多く,皆仕事がしたくない思いではなかったろうか。一方講義は助教授以上は1科目必須としたものの,専攻科反対派の先生の分も私が受け持った。科目名は「信号処理」と「計測システム論」である。当時,受講してくれた学生の中には,現在山梨大学で教授をしている野田先生や,本校教授の加藤先生がおられた。さて,専攻科棟の方だが,2年の熟成を重ねて出来上がったのは1期生が修了するその月(2001年3月21日)であった。修了する彼らを,できたばかりの専攻科棟にお連れして,謝りながら案内した思い出がある。実はその月の初めに,山口校長からJABEEあてに試行受審の正式申し込みが発出されていた。話はさかのぼる。2000年度当初,SICEの認定委員長から私の直通電話に試行受審の打診があり,学内調整を始めた。山口校長が機械科,電気科の学科長に対して一緒に受審することが可能かどうか問い合わせた,機械工学科長,電気工学科長は校長室で,試行受審を断った。それを受けて,電子制御工学科が単独受審せざるを得なくなった。1学科単独になったのは,電気科などが断ったからである。2000年9月19日,電子制御工学プログラムを山口校長が学校として試行受審するよう校内に指示し,責任者を私とした。2000年10月3日,その年に高専で唯一試行受審中の仙台電波高専を私と教員一名,本澤事務官が訪問し,渡辺英夫校長に概況を伺った。のち2001年3月8日,計測自動制御学会教育認定委員長の依頼により,山口校長が2001年度JABEE試行受審を正式に申し込んだ。その際に,3年以内に電子制御工学プログラムを全学科に拡張して,正式認定を受けること,そのために毎年125万円を受審費用として無条件に手当てすることが約束された。予算の約束は守られたためしがない。
2001年4月に霜鳥校長が着任され,2001年7月9日に日本技術者認定機構が電子制御工学プログラムを電気学会を窓口として,電気電子情報通信工学分野(特化された領域としての計測制御システム工学分野)で認定試行実施を決定した。私はそのプログラム責任者となり,小山高専JABEEプログラム員会委員長となり,2001年11月30日に自己点検書を提出,インターネット公開した。実地審査に先立ち,審査団の事前審査が入ったが,プログラムの構造上,私の計測工学のシラバスを公開しない段階では事前審査ができないような仕掛けを入れた。これはシラバス公開が遅れる同僚をかばってのことであったが,委員長の私がシラバス公開しないのは何事かと,電気学科の一部に見当違いの批判があったようである。エビデンスは電子科,電気科,数学科から100%の提出を得た。2002年1月20日から22日まで,JABEEによる試行実地審査が行われ,最終日には「大学工学部相当以上」とのお墨付きをいただいた。写真は試行審査室のエビデンスの写真,急遽決まったことなので1年分の資料だけ確保しました。JABEEの学外的な視点はつづきに記載。梯子に上らせて,はしごを外す小山高専,私は少ない仲間に助けられました。苦しい時は,だれが仲間か,よく見えるものです。

2000年度3年次 2度目の担任

久米君の工陵祭での采配,N君の教室に消火器噴霧事件,大阪に研修旅行に行って府立高専を見学したらUSJに飛び散っていった若い人たち。なんだか無難に過ごせたのは,彼らのおかげでした。できるだけ担任色を消したのは,学校は学生たちのものだから,目標は担任なしでも生きてゆける人材を育てることだからです。卒業式での証書介添えは,一人一人の笑顔を確認することができるくらい,安定感があった。そのような卒業生です。しかし,判定会議までは禁酒禁煙をして陰ながら願をかけていたのです。謝恩会では写真を撮るよりも目に焼き付けることに決めていました。1,2年担任の柴田先生が「自習していなさいと言ったら,本当に自習していたので,驚きました」と,君たちらしさを語ってくれた。そのあと飲みすぎて救急病院に搬送されてことも覚えていますよ。もう20年も前のことになりましたね。いまは,一人一人が主役なのでしょう。これからは君たちが守る番だね。

2000年度教務委員会 初めてのカリキュラム全面改訂

私が小山高専に着任した当初,佐藤太一先生から言われたのは,あわただしく立ち上げた電子制御工学科はカリキュラムの全体構想のバランスが悪い。例えばコンピュータ教育は2年次の次に5年次の科目があるだけだ。これでは学ぶことを楽しみに入学した学生に申し訳ない。したがって,情報系を含むカリキュラムの再編をしてほしい。この宿題を,2000年度の教務委員を拝命した機会に行うことにした。
構想は大きくとった。学生のためになる学科教育は,次の3点にあろうと考えた。
1.学びやすいカリキュラムと授業構成 この対応として,カリキュラム改定を実施した。
2.正しく学生の評価 この点は電子制御工学科は既に達成できていた。そのために留年生が多いと校長から苦言があった。
3.カリキュラムの妥当性の権威ある評価 このための仕組みは,国内になかった。仕方なくJABEE審査を受けることにした。JABEEは評価をしないが認定はするので,この目的には沿っていた。
電気科に陰で批判されたのは,久保がJABEEのためにカリキュラム改定をした,といった誤解に立脚していた。電子制御工学科では,独立事象として学生への貢献のために,JABEEの取り組みと,カリキュラム改革を行ったのである。電気科は学科改組により3コース制をとったが,こちらのカリキュラム改定は改組をせずに学内手続きのみで行った。このメリットは,活動の自由度が高いこと,科目対応表を否応なく作るので,科目の読み替えが既に完了して実施に移行できること,3コース制など文科省向けの主張しなくともよいので,全員が同じ科目を達成することができ,専攻科などで本科の学び直しが必要ないこと,などがあげられる。
改訂作業は学科会議を母体にして,教務委員会を経由した。はじめに学科全員の理想の教育像を各自がプレゼンして,次に目標を決めた。「システム作りとその応用,そのためのハードとソフトを学ぶ」とした。これは笠原先生が提案したものを学科の合意としたもので,作業で疑義が出たときにはこの目標に立ち返って議論する約束をした。このような作業工程は企業でシステム工学的発想を身に着けたことが役にたった。カリキュラム設計は,システム工学手法で解決なんです。
目標に従って,学齢の進む方向に基礎・ハード・ソフト・システム・ものづくりの柱を作った。その中で,科目名ではなく,教える項目を羅列した。例えばキルヒホッフの法則をどのタイミングで教えるか,力学方程式をどこで教えるか,などが明白になったので,科目設計がやりやすく進められた。前後期に科目を分割することで(結果的にセメスター性であるが,それを狙ったものではない)前後期に別の課題を与えるなどの自由度が増え,科目の私物化などもなくなった。不測の事態にバックアップに入れる先生が必ずいるように配慮したため,例えば長期の出張等への対応も容易になった。それにも増して大きな特徴は,科目名を特定しないラインを設け,仮にシステム演習と電子制御演習として,従来のカリキュラムでは吸収できなかった臨機応変の科目が作れたことが大きい。このカリキュラムは,このような仕組みがあるので,現在でもモデルコアカリキュラムの対応も可能な構成になっていた。
1年次では久保が5年間を鳥瞰する科目を半期,鹿野先生が製図と具体的回路を教える科目を半期,担当した。これにより,チューター,副担任の役割をして,5年間のカリキュラムを円滑にした。2年次には技術者倫理を久保が担当した。この早期教育は全国でも珍しい対応であるが,道徳と倫理の違いを教え,最先端で失敗した事例を教えることで,その後の問題意識を持ちながらの学習に効果的であった。のちに技術士の非常勤の先生をお招きすることができた。このようなカリキュラムで,卒業後はすぐに技術士補(修習技術者)資格を取れるので,JABEE認定大学を出る必要がない,准学士での学士相当の教育が維持できた。
最先端の取り組みは,ほかの学科からは理解できないようであった。残念なことに電気科と電子科は同じようだと言われ,1学科に改組してみると,その違いは大きかった。そして電子科での最先端教育の仕組みは,次々に潰されてしまった。

2001年から学校案内パンフレットを作る

2001年に教務委員会で夏のオープンキャンパス(当時は別の名で呼んでいた)に中学生に配るパンフレットを作ろうということになった。建築の高橋大輔先生がデザインして,美しいパンフレットができた。そのようなはじめての活動には,積極的に素材を提供してくださる方は貴重です。仕方なくて,私の卒研室での楽器分析の様子と,のちに専攻科に来てくれたK君の実験の様子の写真を使わせていただきました。写真左がそのページ,瓢箪池の向こうから眺める電子棟のバックが印象的です。2002年もやはり作ろうということになって,学科色のオレンジのページに,私の授業風景やら,百里航空基地に行った時の佐藤先生と技術職員のIさんとともに写った写真を使ってもらいました。協力してくれたI君は,のちに私の研究室に専攻科生として入学してくれました。南斉先生のプロコンや,鹿野先生のソーラーカーなども提供していただきました。実はこのときの形が,のちに毎年毎年コピペされることになりました。事務的には,その方が楽だったのでしょうね。上の方に書きましたが,ねっ,学科色は私の好きなオレンジでしたでしょう。

日本技術者認定機構の活動

JABEEという組織がある。初代会長は東大総長の吉川先生で,「あたりまえの技術者教育をする大学工学部」を認定する組織である。この機構は認定はするが評価はしない。もともと日本になかった仕組みなので,いまだに誤解が多い。1995年の大阪APECで,先進国の中で未対応の日本がやり玉に挙げられたのは有名な話です。香港や南アフリカよりもかなり遅れています。しかし2000年当時はこれでやっと高専専攻科を卒業(修了)する人を,大学卒業と同等だと証明ができる,と同時に,それまで教育中心だった小山高専で,やっと研究の立場からエンジニア教育ができるようになったと喜んだものである。私はJABEEという日本の組織を軌道に乗せるお手伝いをした,全国大学教授等100名ほどのうちの一人である。初年度,カナダとフランスの認定機構からの審査員教育を受けて,2001年度に国内私立大学の審査員オブザーバを務めて審査員資格を得た。何しろ国内に審査員資格者がいない中,大阪大学の大中先生が飛び回って,初年度に100名ほどの審査員を育てたのである。同時に小山高専の電子制御工学科の教育を試行審査対象に選ばれた際に,私はそのプログラム責任者を務めた。高専のポテンシャルが知られていない日本において,この経緯は大いにJABEEの仕組みづくりに影響を与えた。写真は慶応大学の本多敏先生を中心とするJABEE審査団からの結果言い渡しの場面である。JABEE審査を受けるということは,学校の取り組み,本校の申し込みによる,つまり校長が申し込んだものである。したがって,写真でわかるように本校側の担当者はプログラム責任者の久保,本校責任者の霜鳥校長,その向こうに奥山副校長,金野教授などの順に並んでいる。この活動は,本校内では私が勝手にやったと思われているが,実は山口校長が申し込み,霜鳥校長が責任者になって,計測自動制御学会の教育認定委員会がそれを要請し,電気学会の認定委員会がJABEE本体に申し入れた結果実現した。背景には電気学会委員会の渡辺仙台電波高専校長がいらして,国専協からは常置委員会の米山校長などがバックアップしてくださった。試行審査であるから,それなりの教育水準にある高等教育機関を選択するしかなく,それに耐えられる高専は全国に5高専しかなかった。具体的には電気電子分野の仙台電波高専,工学一般の宮城高専,建築土木分野の高知高専,化学分野の新居浜高専,機械制御分野の小山高専(電子制御工学科)の5校である。SICEが制御系大学プログラムを精査した結果では国内38プログラムしかリストに上がらず,そのリストには東京大学は含まれず,上位3プログラムの東京工業大学制御工学系,岡山大学機械工学系,小山高専電子制御工学系までが試行に耐えられるとして選ばれたのである。現在の電気電子創造工学科の母体となった電子制御工学科は,普通にそのような教育水準を維持していたことは,ここに記しておきたい。審査の結果は「大学工学部の水準と同等以上」というものであった。その後のJABEEは全国高専が認定合格するように国専協の四ツ柳校長が政治によって操作してしまったので,JABEE認定にそれほどの意味はなくなった。東京高専などがJABEE受審をやめると言い出したのは,正当な判断である。日本では本物の技術者教育が根付かないものですねえ。「技術者である前に…」,何を言っているのでしょうね。

黒須茂先生と

名古屋大学で行われたSICE2002学術講演会で,本校機械科の黒須先生とお会いした写真。黒須先生は,何かと小山高専では叩かれて,先生もお弟子さんも,次々と追い出されてしまいました。しかしお弟子さんは,驚くほど大きな活躍をされている人が多い。あるとき先生からお聞きしたことですが,強気の先生には似合わず,「小山高専は私の来る場所ではなかったかもしれない」と仰ったことがある。そうかもしれない。先生は,おそらく当時の小山高専では唯一ともいえる,世界で通じるトップクラスの科学者でした。ジャイロとコマの世界的研究者で,テレビでの解説出演などもありました。このような学会,学術講演会に行くとそこに黒須先生がいらっしゃる,お互い計測制御の分野でしたので,校内では話さなくても,学会では出くわすことが多かった。そして私がJABEE責任者になったとき,機械工学科から全面的に協力してくださったのは黒須先生くらいでした。私が議長を務めるJABEE委員会でも力強く肯定的な意見を述べてくださった。本物の研究者は,小山高専には似合わなかったのかもしれませんね。しかし国際化,高度化,多様性,持続可能性,ポジティブディヴィエンス,いずれをとっても黒須先生のような研究教育者が必要な時代に来ています。それともやはり,出る杭を叩き壊すような運営が続くのでしょうか。よい仕事をして,仲間から撃たれる。組織改革をしてきた身としては,やるせない。
そういえばこのとき,当時東京農工大の小畑秀文先生と名古屋大のキャンパス内をご一緒して歩いた記憶がある。少し前に卒研生が農工大に編入し,お世話になったので,そのお礼を言いたくて,ほかの人がご一緒だったのでつい言い出せずに目配せだけで同じ思いを共有したと思った。先生は私の恩師と東大航空宇宙研でご縁があった関係で,ちょっとしたことで連絡を取り合う関係があった。その3年後,小畑先生は東京農工大の学長に就かれ,位が高くとも驕らない先生でした。2012年に高専機構理事長になられて,ご挨拶をしたかった。しかし,本校の2人の主事が,小畑先生との交流を禁じた。考えられますか?結局,交流は切れてしまいました。SICEの音響応用計測で,2つのセッションの座長を,ご一緒に務めた間柄でもあった。あの時は大御所の磯部孝先生が登壇しました。そういう研究上の純粋な交流を小山高専の何かが断ち切ってしまう,この手の負の勢いには疲弊するものがあります。

長岡技術科学大学のパイロット事業

高専が機構に統治された前年,水面下では大学の高専支配がはじまろうとしていた。長岡技科大が,そのパイロット事業として,小山,長野,長岡,茨城の4高専に,ひそかに共同事業を申し入れた。高専教官の一部を選別して,長岡技科大の教授として認めて,大学卒研の副査を担当させたり,高専から大学編入する学生にシームレスに洗脳的教育をしてしまおうとするものである。全国高専からの編入学生のそろっていない履修授業を統一するのが大学の利益,高専教員は大学教授にしておけばしっぽを振って飛びつくであろう,そんな都合の良い高専教員の利益をちらつかせて,新聞報道なども用意されていたようである。私がこれを知ったのは,内々に霜鳥校長に呼び出されたからである。久保先生,こんな話があるが,どう思うか。私は即座に答えた。大学に手柄を持っていかれるようで,非常に不愉快な提案だと思います。霜鳥校長は,前任が長岡高専副学長だったので,よくわかっておられる。先生,私も同じ考えなんだ,だから,この話はつぶす話だと思う。久保先生,上野まで一緒に行ってもらえるか。霜鳥先生は即座に国専協の頭の四ツ柳校長に電話をかけて,代表権限の同意をとった。さて上野の美術館の,天皇がお使いになるという秘密の応接室のテーブルに長岡技科大の研究担当副校長,事務部長,3高専の副校長と霜鳥校長。このすごい面々に,40歳の助教授が上座に座れと言われる。仕方がない,私が上座,次の座が霜鳥校長,左右の辺に高専副校長と高専部長の面々,真向いの下手には長岡技科大の研究担当副学長と正面に対峙してその両脇には事務方ナンバーワンツーが固める。霜鳥校長はブロックロディアの11番を丁寧に整えて,まず大学側のお話を伺った。高専側の返事が求められたとき,霜鳥校長は「久保先生,あとおねがいします,ちょっとトイレに行ってきますから~。」やられた!高専側校長は不在,副校長は誰もしゃべろうとしない,だれも大学に反抗ができないらしい。にこにこする大学の偉い経営陣,上座で美しい庭園を望む大きな窓を背に座った私が,その返答をし得る唯一の人間になった。腹をくくった。「いただいたお話,やりにくいんですよね。」私の言ったこれが高専校長会を代表しての返事である,大学側の経営陣のニコニコ顔がそのまま氷結した。しばらく雑談ののち,小用から霜鳥校長が戻られた,にこにこ顔で「先生,終わりましたか~?」。このようにして,高専植民地計画が潰せた,と思っていた。(つづく)

長岡技術科学大学の客員教授の辞令

高専が機構に統治された前年,長岡技科大が,そのパイロット事業として,小山,長野,長岡,茨城の4高専に,ひそかに共同事業を申し入れた。霜鳥校長とお断りをしたので,高専植民地計画が潰せた,と思っていた。カリキュラムの統一はMCCとして,高専教員の大学教授の件は協働授業として,手を変え品を変え,水面下でくすぶっていたのである。MCCは私が教務主事補の時に,森主事に聞かれて小山高専は相手にしない態度で決着した。そして,いつの間にか機構にしっぽを振る教員が受けてしまった。大学教授の件は,土田主事があっさりと受けてしまった。具体的にはフロンティア概論という科目である。誰もやる人がいないというので,私が国際単位系のフロンティアを長岡技科大の授業として講義することになった。業績を出せと言われて提出したところ,「長岡技術科学大学の客員教授と称することができる」という辞令を受け取る羽目になった。本校担当者は全員が客員教授になったと,土田主事は成果を誇らしげに語った。写真は全学科対象に主に5年次学生にSIの最先端を講義している様子である。私は,学生のためなら,大学の授業だって行うくらいの配慮はある。この講義が始まって数年後に,国際キログラム原器がプランク定数によるキログラムの定義に打って変るニュースがあった。正鵠を射たわけである。しかし私は,客員教授の辞令の紙が好きになれなかった。普通,辞令は,丁寧にそれなりの場所を選んで手渡すものである。長岡技術科学大学の客員教授の辞令は,全員分が事務に送られてきて,係の方が裸のまま教員ポストに放り込むのである。ふつうそのような時,封筒に入れるくらいの配慮があるものだ。しかしはだかの紙の上に普通郵便が放り込まれるので,ほこりっぽい。そんな紙切れが嫌いな私は,ダイレクトメールと一緒に1か月くらい放置する。辞令をぞんざいに放り込むって,信じられますか。汚い紙切れに客員教授の文字,学長の押印に侍の気高さはない。私は技科大の権威をかざした上から目線,傲慢さが,大っ嫌いなんだよ。けれども,技科大の先生も職員も,皆さんお一人お一人は素晴らしい。よくない創発が起きているだけなんです,今誰かが断ち切らないと,ね。

カセグレンアンテナは電子制御工学科の象徴

電子制御工学科棟といえば,4階建ての存在感のある独立したシンプルな建物,しかし細部に凝っていて,階段は10段が基本,廊下を広く取り,卒研室も広い。電波暗室とクリーンルームとパソコン授業室。そして何よりも屋上のカセグレンアンテナが象徴であった。私が着任した時には,屋上にはその台座が3つ,コンクリートのイスでも置いたような塩梅だった。まもなく,ある日突然,食堂わきの入り口から見たこともない大きさの重機が電子棟東側に横付けされ固定されて,大きなアンテナが運び込まれ,あれあれと言う間に電子棟屋上に巨大カセグレンアンテナが設置された。防衛庁のものを持って来て嵌めたようである。あの台座の位置関係は,最初から狙われていたアンテナの台座に合わせて設置されていたのだ。施設係によると,建物の耐震補強も十分になされているとのこと。これには恐れ入った。これ以来,カセグレンアンテナは電子制御工学科の象徴,イラストでも箱を描いてアンテナを書くと電子棟になると言った具合である。このアンテナの能力は放送局と同じであって,筑波山まで電波を飛ばして反射波を観測し,地図が描けるほどの性能があった。卒研でも角度制御をロータリーエンコーダーで行ない,多くの研究成果があった。しかし坂道を転がり始める時が来た。4階建て電子科棟の隣に,5階建ての専攻科棟が立った。この建物は,別の場所に立てる計画であったが,役人の取り決めは配慮がない。もし,カセグレンアンテナの角度制御を誤って,北向きに電波を出すと,専攻科棟5階にいる人は「電子レンジ状態」になるほどの危険性が出た。このため電波が出せなくなった。その後,佐藤先生が退官されて,伊藤先生が学科長になったとき,この建物は,屋上にこの重量のアンテナがついていると,大きな地震でも来ると危ない,そういい始めた。誰も使用してないアンテナだが,一度国の許可を取り消すと,二度と免許はおりない。若手は今後の採用者がアンテナを使うかもしれないと主張したが,学科長は言葉を受け入れる能力のない方だった。そして2009年3月25日,朝9時6分,事前予告なく秘密裏に持ち込まれた大型クレーンによって,カセグレンアンテナは取り外された。折しも北京オリンピックで鉄の価格が高騰していた。我々の心の象徴が,キロいくらで国外に売り飛ばされてしまった。取り外したことによって,電子棟には中央柱の両脇に,無視できない大きさの縦の亀裂が入った。アンテナである前に,まずカスガイであれ。それ以降の学生たちは,この重要なアンテナの存在を知らない。写真は左から卒研生と共に,久保と共に,取り外しの日の管理棟からから図らずも取り外しを見つけて写真に収めたもの,その右が電子棟の南側にアンテナを外して降ろしたところの写真を掲載した。2年後に大きな地震が来たので伊藤学科長のカンは当たったのだが,それ以来アンテナについての言及はなくなった。縦の柱割れは,改修工事でコーキングされてしまった。縦の亀裂が修繕されたかどうか,確かめるすべを失った。

2008年前後 正規科目外の活動が自在に行えたころ

2008年前後に授業以外で,電子制御工学科では若手を中心に多くの自主的活動をしていた。笠原先生を中心とした,学生を心配する上での活動である。電子制御工学科は,自然とこのような若手の活動ができる雰囲気があった。1つにはゲリラプロジェクト名付けた,3.4年学生にある日突然問題用紙を配り,数学,英語,回路,電磁気などの手作り試験を行ってしまうものである。これには午後一杯を要し,単位にならない活動ながら学生たちは協力的だった。終わると採点が始まる。手間はかかるものの,かなり有効な活動であった。2つ目は夏の補講である。数学,電磁気,電気回路,電子回路など,2から4日連続でワンセットを自主的にこなす活動である。必修ではなく,成績の奮わない人と成績が良い人が自主的に受けてくれて,集中力が高い。このとき1回だけ,家族が緊急入院して,小さな子供をおぶって授業をしたことがある。だから,私はお子さんを持つ教職員の気持ちがよくわかる。学生もそのような突発的な事象にも不満を言う人はなく,とても良い信頼関係が学生との間で結ばれていた。一方で,このころは授業以外でも学校正規の活発な活動があった。私が大事にしたのは1つに市民講座である。毎年夏に,30年前は電電棟4Fパソコン室で,20年前は情報センターでExcel中級講座を担当していた。授業が終わってシャワールームもないので汗だくで夕方の市民向け講義に入るのである。市民の受講者は,学生よりも熱心である。学生向け授業を漫然としていても気づかないことを,気づかせていただける。2つ目は,本校のネットワーク室長を務めたことがある。ちょうど2011日の大きな地震があったとき,揺れる中で不安だったろうに情報センター佐藤技術職員さんは安全にサーバーをログアウトしてくださった。サーバーは,急に電源をなくすと次の立ち上げに支障が出る。無停電電源は緊急用であって,数十分くらいしか持たない。停電のときはバックアップルーチンが組んであり,滅多に失敗はしないのだが,やはりシャットダウンは人間の手で行うものである。輪番停電が始まって,そのたびにネットワーク関係者が情報センターに集まって,手順に従ってログアウトをしていたのである。パスワードを知っている人は限られ,また複数で確認しながら電源を落とす。人知れず,その様な活動があったので,地震により本校サーバーがクラッシュしたことはない。技術職員の新人の加藤さんが,丁寧な手順操作でシャットダウンしたのを見たとき,心強いと思った。加藤さんは電子制御工学科の卒業生で,とにかく安全に気配りしながら安定した仕事をなさる。3つ目に,鹿野先生が注力された学科パンフレットの製作である。このために私のプログラミング授業の写真が使われたので,掲載してみます。電子制御工学科は,放っておいたほうがパフォーマンスが高いし,県内トップクラスの学生を入学させ,かなり高い水準の卒業生を輩出していた。その一つ一つの工夫は,学科改組の統合で,バグつぶしのように消されてしまった。教員のモチベーションが下がるというのは,学校にとって有意義なことでしょうか。新しいことを始めようとしていますが,また潰されるのかと思うと,疲弊します。それでも,学生のための取り組みは,始めちゃうんだな。

2009年10月 3回目の担任

2009年10月から,伊藤教員から4Dクラス担任を任された。伊藤先生は学科長の管理体制に不満を持って年度いっぱいで退官するとのことだ。実はこの前年には学科長に我慢ができなかった金原先生まで非常勤をやめると言い出した。結局このクラスの力学の授業(応用物理)は私が担当した。いくら自分が応用物理を学んだとはいえ,突然に慣性とコリオリの力を教えろと言われても,困惑が隠せなかった。そのようなとき,学生はよく授業を聞いてくれるものである。いずれにせよ担任交代は私と伊藤先生の間で,学生たちの就職が最優先に考えての担任交代であった。9月に苅谷校長に挨拶に行くと学科長にお伺いを立てると,まだ話が通っていないという。ええっ?,とにかくずさんな学科管理下での担任交代だった。それなので,学生にはずいぶん迷惑をかけたろうと思う。救いに行った私を,学科長の身代わりのように反抗した学生には,その様な苦情は学科長に持って行ってほしいとも思った。また,3年生を担当していない担任が,4・5年をもってうまくゆくはずはない。進路指導は3年から仕掛けを入れるのが私の流儀である。しかし,学科長に担任を譲ると,問題が悪化しそうな学科長のように思われ,学生のためには,やはり最善の担任交代だと思っている。その苦しい仕事を気づかれないように実行したので,褒めてほしいとさえ思った。しかし,最後になるほど,きずなは深まった。そして卒業前の大きな地震,私はこのクラスを印象深い濃密な時間を過ごせたクラスだと思っている。

2011年の大きな地震と教室での卒業式

2011年3月11日の午前は技術職員の発表会を聞いて,お昼は電気自動車の説明会に出た。午後,留学生のために大使館に手紙を書く必要があって,電子棟4階(現在の電電棟)の卒研室で面談をしていた。揺れ始めた,大きく長かった,留学生に「大丈夫だよ」と言って机の下に入ってもらい,ドアを開いて避難経路を確保した。「せんせい,だいじょうぶ,じゃ,ない,ですね」と言われて,大丈夫ではない規模の地震であることに気づいた。留学生は作業机の中で捕まって,作業机と共に1 m も動いてしまっていたからである。留学生を寮に帰して,各フロアーをチェックして回った。防火扉が勝手に閉じるから,押し戻して経路を確保する。4階には10名ほどの学生が,階段上の広い廊下に集まったと思う。建物にいて不安はないが,地面が,いつまでも,さっきよりも大きな揺れ方をしている錯覚にとらわれ,非常階段にいて,地球の方が先に壊れるのではないかと思った。
3月18日,卒業式。体育館が使えなくなったので,各教室で学科ごとに証書を渡すことになった。このタイミングで,5Dクラス担任をしていたのは奇跡である。幸い全員が集まってくれた。普段着でよいと言ったのに,ほとんどの学生が正装だった。仲間のサポートを得て,私が証書を読み上げ,一人一人に手渡した。だんだんと嬉しさがこみ上げ,みんなに笑顔が出てきた。生きている喜び,仲間が集まる喜びを訓話代わりに伝えて,教室の出口で全員を見送った。学科長は東北のご自宅を流されたそうである,皆それぞれの苦悩をもちながら,しかしこのとき一度嬉しそうな笑顔になって,集合写真を撮って,また引き締めて社会に旅立っていった。それにしても,小山高専始まって以来,最も小さくて最も幸せに満ちた卒業式であった。10年たった今も,これ以上の卒業式はないだろうと思う。人間は,前を向いていれば,何とかなるもんなんだ。地震が来ても,平気で生きている,人達の姿を確かに見た。

4回目の担任,電気電子創造工学科1期生 2018年3月卒業  (担任:L今成・R久保) 

2013年 新学科設置・入学・1年次,2014年2年次
2015年 電電棟改修完成・3年次,2016年4年次
2017年 卒業研究・5年次 2018年3月卒業。私は,歴史を作ったこの人たちを忘れない。教師生活25年(笑),はじめて原級留め置きなしのクラス担任を経験しました。この学年は,気が付いたら学科が変っていた。新しいカリキュラムで1日48時間分ものレポートを真剣にこなして,過去問のない定期試験を乗り切って,しかも明るく前を向いていて卒業した学生たち。その陰には,素のままで優れている君たちを群青色に染めろという校長室での叱責に,2人の担任が,意地になって守った何かがありました。しかしその分を差し引いても,君たちは企業から「もっとこういう人を紹介してください」と言われる人ばかりでした。菊づくり,菊見るときは陰の人,菊根分け,あとは自分の土で咲け。これからは,広い大地で,自分の土で,笑ってください。

小山高専での学会発表 2019年3月9日,10日

2019年3月,電気学会の群馬・栃木支部,発表会が小山高専で開催された。学生発表の機会を与える色の強い学会発表であるが,大人げなくも私も1件発表しました。しかも,群馬大学の先生が多い中,群馬大学入試問題の単位の書き方がおかしいよ,という発表でした。それはそれとして,1日目,日頃講義や会議で使っているセミナールーム2で,大学院生の発表を聞いていると,少し遅れて群馬大学の小林春夫教授が現れた。懐かしさのあまり,握手をしてしまった。セミナー3では,神奈川工科大学の小室貴紀教授が発表されていて,30年ぶりの再会になった。お二人とも,昭和60年に入社した三鷹の横河電機の研究開発2部で一緒のチームで働いた仲間である。小林先生は2年先輩で一緒に先端計測器のCPU周辺を設計された方,私はFFT演算のDSP周辺を設計し,小室先生は東大に8年通った強者で,2年先輩だが同期入社,当時はアナログのシビアなA/D変換器を設計されていた。写真はその30年後の再会,懇親会での様子である。若かった私は26歳で,学位も持たず,月200時間の残業をこなしても平気だった。一般に研究開発よりも生産現場の方が残業は平気と言われるが,どうなのだろう。その根拠は考える分が多いだけ,疲労は激しいということでしょう。自分は,自分の自治管理できる状態で研究できるのであれば,残業は平気である。しかし命令下で研究をするのは,月5時間でもつらい気がする。当時はやりたい放題できたし,残業代は10時間も出なかったと思うが,それでも自分には合っていた。しかしどうしても我慢が出来なかったのは,余所の特許を違法にかつギリギリ合法に奪って平気なところ,研究と言いながら前例のあることしかやらないところ,慶応派閥に入らないと出世できないこと。特に偉くなくてもよいが,主任くらいにはなれないと,自分の思う仕事はできないものです。そして慶應系の仕事の進め方は,難しいことを達成したら平気な顔をせずにパフォーマンスをする,これがどうしても自分には合わなかった。小林先生は東大計数工学科で北森先生に師事し,UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に留学されて名門Abidi教授に師事した,その時インターネットで初めてやり取りをした。私が辞めると,チームからは次々と辞職者が出たらしい。30年後,この3人が集まってみると,結局3人とも学位をとって,教授職の仕事ができている。会社を辞めるとは,いばらの道を歩く決心です。しかし,自分は運が良かった。不思議と運が良いメンバーと再会する,これは奇跡でしょう。小室さんと言えば,新人歓迎の飲み会で飲めない酒を飲んで,布団に入って寝たと思ったら夜中に突然起きてふすまに抱き付き,ふすまごと後方に90度倒れても起きなかったつわもの,そんな人を初めて見たとき,ああ,人生は,どう生きても何とかなると悟りを開いたのです。今でも,気持ちだけは若いまんま。何年たっても、仲間はうれしい。

南斉先生ご退官 2019年3月

南斉先生を嫌う人は,誰一人いなかったし,これからもいないだろう。そして電子系学生,教職員ともに,誰一人例外なくお名前もお人柄も知っている先生であった。優しく,人格が高潔で裏表がなく,いつでもニコニコ笑っている。しかしコンピュータに関して,この先生の右に出る者はいなかった。実は私の中での南斉先生は,矢沢永吉のイメージです(成り上がりという意味ではないですよ)。少し小柄でも,ピリッとしている,格好が良い,剃刀のような切れ味かと思うと,笑って楽しそうである。実は見えないところではコツコツと努力されているのを私は知っています。誰にも知られずTOEIC試験を受けておられたことは,長岡技科大教授の上村先生に言われて知りました。南斉先生が慕われるのは,技術職員,助手から始まりセンター長,教授,学科長と,すべての職責を無言で確実にこなしておられたことにあるのではないかと思います。そして愚痴を言わない,悪口を言わない,言い訳をしない。完璧な先生だと思った。教職員会議で定年退官のご挨拶は「退官後も,外部資金を調達するように言われていますので,あと2年高専に通います」,そして笑顔。一時,私は先生を早い時期に学科長になってほしくて,駆け回ったこともあります。結局先生に恥をかかせてしまった,申し訳ない思いでいっぱいです。別の話ですが,実は私にはあるときから,何年も繰り返して教授昇進の資料を準備させた主事がいらっしゃった。そして何年も繰り返し昇進は流された。副校長は,そういうこともできるんだとわかって,勉強になりました。そして私を教授に推薦してくださったのは,南斉先生だということも知っています。先生にだけは頭が上がりません。若々しい先生,きりっとした先生,コンピュータのことになると話題の尽きない学究でもある,驕らない,高ぶらない,ぶれない,その中でも笑っている南斉先生が一番すてきだと思います。高専生活50年年以上,お疲れさまでした,ありがとうございました。

「令和」2019年度R1/H31   新しい元号は,令和であります

「令和」が決まったことを,仕事中の教員室で知りました。久保和のいずれかが入るだろうと思っていた。テレビでは公開する直前に「命」が見えたような気がした。そういえば,昭和天皇の崩御の後,小渕元総理が「平成」を公表したお姿を思いだした。その知らせを,私は成田空港のテレビで見たのでした。そして思いだしたのは,昭和60年に入社した時の横河正三社長の訓話:わが社では元号ではなく西暦で統一します,不謹慎かもしれないが,人の生き死にで年がリセットされると,年の換算計算にひと手間必要になるので,ミスがちょっとでも出やすくなる,それが怖いからです。文書サイズは海外とのやり取りがあるのでA4で統一します。私はその通りだと思う。そして小山高専に就職して,元号計算のややこしいこと,B5文書の扱いにくいこと。会社を辞めて,古い体質の不合理を体験して勉強になりました。小山高専が発展しないとするなら,それは不合理な体質にあると思います。そして,それを変えようとしない人たち。小山高専はそれ自身が高いポテンシャルを持っているので,管理がうまくゆけば上昇に転じることでしょう。自分にとって令和は,スタンダードの問題でした。デファクトスタンダードとデジューリスタンダード,フロンティアにおけるグローバルスタンダードの問題が,今まさに迫っています。

「コロナ禍を,これなんぞ福となさざらんや」2020年春から

予想もしなかったCOVID19,この時代をどう乗り越えたのか,一々記録をしておきたいと思います。感染拡大が始まった2020年3月ころから,事態は1・2年では収まらないと思った,しかしそれを言うと仲間外れになりそうな気配もあった。リモート授業を併用して,何とか1年間を過ごした。コロナ感染症をできるだけ減らそうとして,小山高専の食堂は基本的に営業を自粛し,しかし経営が成り立たない業者さんのことを考えて,気が付いた教職員が入れ代わり立ち代わり食堂のお弁当を買うようなことが自然と起こっています。今日(2021年5月10日),私はふらりと食堂で弁当を買った。自販機で410円のB定食のチケットを買う,並ばずにお弁当が買える。もう少し出費を抑えたいのですが,たまには助け合いのつもりで,満足の弁当をいただいているときの私は,きっと笑顔なのだろうと思う。長丁場かも知れないので,少し気楽に過ごす時間も,大切ですね。ひそかな楽しみ,だれでも買えますよ!食堂業者さんにも,乗り切ってもらわなくっちゃ。
昨日の昼食を100円で済ませたので,今日(2021年5月12日)は,またもや学校食堂へ。今日の弁当は,おいしいどんぶりでした。食堂業者さんにも,乗り切ってもらわなくっちゃ。
今日(2021年5月13日)は,校内警らを兼ねて,またもや学校食堂へ。今日の弁当は,どんぶりのスパゲッティと野菜たっぷりサンド。食堂業者さんにも,乗り切ってもらわなくっちゃ。

クイズ  Profoundly mistaken !(思いっきり,間違ってますよ!)

市民に分かってもらえないこと,あろうことか,答えられない高専生が多い。この20年ほど,私は授業で教えていました。その授業が消されて3年が経ちます。次の質問に答えられますか。(おかしいところはどこ?)
  Q.高専って,高校なんでしょ?
  Q.高等専門学校って,専門学校なんでしょ?
  Q.高専の生徒さんは優秀だから!
  Q.高専生のきみたちは生徒ではなく学生だから,さぼる自由があるが,その責任も自分でとるんだ!
  Q.高専が自分に合ってないから3年で辞めて高卒の資格で大学受けなおします!

答えはこちら

かなわないと思う人(1)筑波大学・山海嘉之先生

自分は筑波大学の工学部(当時は第三学群基礎工学類)の3回生,できたばかりの大学で今とは違った風景の中で育ててもらいました。卒研が面白くなってね,自分が所属した計測研は4年次のとき井戸川徹教授(相関計測),永井啓之亮助教授(音響工学),青島伸治助教授(音響計測)の研究室で,FFT専用機の開発をしました。大学院に進むと研究室は独立した物理工学系・青島研(計測研)で建築音響計測の修士研究でお世話になった。青島伸治先生は,構造工学系の制御研と仲が良かったので,よくご一緒してスキーに行ったり,学会に出席したりした。制御研は松島皓三教授(制御工学),太田道男助教授(生体制御)のお二人の研究室で,その中に1学年先輩の山海さんがいらっしゃった。左の写真は昭和60年の学会(SICE’85北海道大学)へ向かう,大洗から苫小牧行きのカーフェリーの中で,私と山海さんの写真。右の写真は同時期に蔵王に行った時の写真で,左から友人宮井,久保,松島皓三先生,太田道男先生,その右が山海さん。山海さんは,当時から論文の切れが良く,物静かで憎めないお兄さん。変わり者に見えて,正統派。どんな要望も受けてくださる,喧嘩にならない方。写真では目立つのですが,妙に存在感を消しているような印象でした。そういう方が教授になったのですから,無敵と言ってもよいと思います。今では有名人で,政府やNHKなどが頼みの綱とするような方です。大学教授で長者ランキングにも入る,遠い人になりました。ロボットスーツでは,後追いの人が抜かせないのではないかと思います。私が2006年に筑波大学に内地留学した際に,ご挨拶に伺おうとしました。見つからないので,何人かの先生方にお伺いすると,「学校に来ない先生」だと仰います。とうとう筑波大学の広告塔に利用されてしまっているようでした。学校に来ない先生,なんか妙だね。偉くなるという意味では,私はかないませんが,もしかすると学校に来る先生,学生と話す先生,という意味では,私の方が勝っているかも知れません。でも,山海先生は,もはや勝ち負けの物差しでは測れないところにいらっしゃいます。

かなわないと思う人(2)イラストレーター・青木俊直先生

筑波大学の工学部(当時は第三学群基礎工学類)の3回生で同級生の青木君。Wikiを見ると(引用ここから)『ウゴウゴルーガ』、『なんでもQ』シリーズ、『みんなのうた』、『おかあさんといっしょ』等、主に子供向けテレビ番組のキャラクターデザイナー、アニメーターとして活躍。 その他、携帯ゲームや企業のマスコットキャラクターのデザイン、ウェブコンテンツ作成、漫画作品の執筆と、幅広く活動している。作風はゆるキャラ系や少女キャラクターを得意とし、商業誌・自主制作ともに漫画作品を発表している(引用ここまで)とある。不思議と自分の写真には写っていないので,卒業アルバムから左写真は学系の最初のところにちらりと若い青木先生(いい男でしょ!),中央写真は担任と学系長の下に青木君の名前が,私も写真で協力している。この卒業アルバムのページはデザインが良いと思う。右の写真は青木君のページを直接引用させていただいていますが,我々の年代の筑波大生はこのレポート用紙にお世話になったはずです。懐かしいこの絵は,青木君の作品です。自分は,当時の筑波大学を思い出すとき,このイラストがとてもよく描けていると思う。青木君は授業中に,ノートの隅にさらさらと鉛筆でイラストを描いていました。それが自然で無駄のない,素人が見ても素晴らしいと思うものでした。自分はTVアニメの「ひそねとまそたん」や,映画の「きみの声をとどけたい」が好きです。大学生の頃,私は工学部の授業にはほとんど出なかったので(バンド,アルバイト,他分野の講義に潜り込み),試験の前になると教室に行って青木君のイラストを見ていた。同人誌「まんがいち」が書籍部で売られていて,必ず買って読んだ青木君の作品はずば抜けていた。今では母校の芸術専門の方で講義をしているようで,手塚治虫のような人だと思っています。こういう人は,静かに確実に仕事をされていて,おごらない,偉ぶらない,本物だなあと思う。かなわないなあ。

かなわないと思う人(3)元文部官僚・霜鳥秋則先生

霜鳥先生のエッセイに「存在の絶えられない軽さ」という作品がある。このフレーズは冒頭に限局して説明があるのみで,だからこそ何かが隠されているのではないかと思ってしまう。結論は,なるほどと思わせる提言になっている。そして2年前の動画を見ると,相変わらずお懐かしゅうございます!と思ってしまう,どうやら秋田の大学で,水商売をしているらしいのである(生ぬるい麦茶を13円で売っている,1万円で払うとおつりを出さない悪徳,もとい,経済戦略満載の商売!)。2021年のまじめなYoutube動画もありますけど,さきほどのFacebook動画が霜鳥先生らしいかな。
霜鳥先生とは,3年間ご一緒にお仕事をさせていただいた,もちろん自分が部下だったのであるが,先生は不思議な上司であった。写真左はJABEE試行での小山高専会議室での審査団の言い渡しの時,手前が自分で,その奥が霜鳥先生。先生とご一緒の写真は,意外なほど少ない。右の写真は,秋田公立美術大学の学長ページを直接リンク引用させていただいている。これから許諾を得るところですが,おそらくお断りにはならないと思います,先生は懐が広いから,先生はつまらないことで怒らないから。霜鳥先生は文部省課長時代に国会答弁をされたとか伝説が多い。その後文部省の部長,長岡技科大副学長,小山高専校長,その後,秋田の大学で学長をなさっている。ご出身が夕張だったと記憶するので,次は北海道にジャンプするおつもりかもしれない。週刊誌で叩かれた噂も聞いたし,それでもけらけら笑っておられるのは先生らしいと思います。私とのかかわりはさんざん上で書きましたので,十分でしょう。3年間だけ高専においでになって,独法化してすぐに転出なさいました。その直前,寒い冬の高専のキャンパスを,おひとりでフラーっと歩いておられるのをお見かけしました。私と同じで,ご自分の目で確かめないと気が済まないのかもしれません。しかしつまらないケンカなどはなさらない方でした。上に立つ方は,孤独なのだと思いました。離任式の直前,校長室に呼ばれました。「先生,あの木は何の木だかご存じですか?」,自分は叱責されると思っていた場面だったので,拍子抜けしました。政治家のような会話をした記憶ばかりが残っています。小山高専の門柱を建てたのも先生です。入学をお考えの中学生の親御さんに「秘密のおまじない,小山高専の門の文字のところを,ハンカチで撫でると,入試で合格するんですヨ!」と仰っていました。小さな声で「そうすると,いつも本校の門はピカピカなんです」とも。話すことが,わかりやすい。具体的で,相手に合っている。なんだかやる気にさせられる。懐が広いのでしょう,いくら押しても,全く限界がない,技術者の言葉ではインピーダンスが高い,そして秋美を大学にしてしまうほどインピーダンスが低い。どこまで奥が深いのだか,下から見る上の人はわからないものである,それは,こういうことなのだというお手本のような先生です。ちょっと,かないません,…かなわないなあ。

かなわないと思う人(4)群馬大学・小林春夫先生

小林さん,私が横河北辰電機に就職した時,2年先輩として面倒を見てくださった恩人。今ではアナログのグルとも呼ばれ,業界では恐れられている研究者。一方では癒し系とも思われ,その正体は謎に包まれている。小林先生は,いつの間にか北関東に国際会議を持って来てしまった。「久保君さあ,今度,日光で学会やるんだけど,来てよねっ,ねっ」そんなことを春に言われて,小林さんとうとうボケちゃった,と思い悲しくなった。ところがその夏,何と東照宮の客殿で,TJCAS2019を開催してしまった。先生はその運営総責任者です。これには度肝を抜かれた。写真右はその時の集合写真の様子,手前左から4番目のTシャツの陰に隠れている方が,その先生です。写真は全て,先生の所有するリンク先から拝借しています。
小林先生の研究室のHPには,たくさんの格言と,多くの活動実績がある。そちらをご覧になるのが,私の説明よりも明快だと思う。東京大学北森研究室を出て,Ph.D.は早稲田大学から,そしてUCLAのMSも有する。一方では大変人間味の深い先生で,多くの国内外の研究者,学生から慕われている。先生の武器は「あの~」ビームである。「えっとえっと」攻撃もある。神出鬼没,いたるところで活躍しては,その成果は銀河を照らす。小林先生が会社をお辞めになって,桐生に移られてから,何度となくお伺いしたことがあるが,いつもなんだかうれしそうである。きっと奥様の内助の功と,桑名先生の適切な研究室運営によって,何もしなくてもきちんとできているのかもしれない。かなわないし,うらやましい。きっとご本人はとろけているのかもしれないのである。
地方の国立大学に駿馬がいらっしゃることは,学生さんに伝えておきたい。例えば群馬大学の小林春夫先生,
佐賀大学の寺本顕武先生,いずれも東大計数工学科の稲村實先生の流れである。稲村先生は,かつて小山高専の私のオフィスを訪ねてくださったことがある。先生は釧路高専校長を「こゆきちゃん」,小林春夫先生を「こはるちゃん」と呼んでいらっしゃった。そんなお世話になった稲村先生にはちょっとご迷惑をおかけしたことがあって,いまだに申し訳なく思っています。会社員時代,小林さんとは職場で義理チョコをもらったお返しに,三鷹駅前のしゃれた店に2人で作業着のままキャンディを買いに言った思い出がある。若いころは普通だったんですがね。小林先生,私がかなわない先生に,よくよく考えたら一つだけ勝っている点があった,それは質量である。私が負け犬の遠吠えをできるのはこの唯一の点のみ。この一点だけを除いて,小林先生は素晴らしいなあ,うらやましいなあ,小林先生には,かなわないなあ。

組織の無駄な複雑さ 校務分掌について

小山高専には,校務分掌というのがある。一般の方がご覧になることはないとは思うのですが,今年のものはかなり複雑である。以前,2002年ころだったように思うが,あまりの校務分掌の複雑さに嘆き,私は奥山先生と一緒に,委員会やそれに準ずる組織をことごとくシンプルにしたことがあり,その時は小山高専の複雑さが減って,学生と向き合う時間が増えたことを安堵した記憶がある。しかし隙間ができると,次から次へと押し込んできて手柄を上げて疲弊してゆくのが,小山高専の悲しさである。右の写真をご覧いただきたい。これは「小山高専だより」から引用した昭和45年の校務分掌である。教員がしっかりしていれば,組織はこれで動くし,学生も育つのである。
複雑なのは,よいことなのだろうか。カオスでは創発が起きたときのみ,組織は有用である。では小山高専では創発は起きるだろうか。おきないというのが私の見解である。その理由は,一部の人が牛耳っている組織なので,カオスにはなりえない。そして創発を起こすには,教員数が少なすぎる。多様性がないから,それが解答である。そして,なおさら多様性を奪おうとする人々がいらっしゃる小山高専を,私は不思議に眺めている。私が言いたいのは,無駄に組織を複雑にして教員の力を奪ってゆくよりも,組織を簡素にして教員の裁量を増すことによって,学生は天井知らずに伸びるであろう,教員は大学に逃げてゆかなくなるであろう。これがわかる人だけ,わかればよいのではないかと思います。小山高専は,持てる力を十分に発揮できないでいます。今よりも学生が輝く高専になれるということです。これがわかる人には,引用した写真を眺めて,気づくことができるのだと思う。そう信じて未来を期待したい。ちなみに小山高専の開学初年度の昭和40年には校務分掌がなく,すべては教官会議で取り決めがなされたので,教務主事,学生主事,寮監が任命されたのみ,委員会は図書委員会一つであった。つまり,全身が集まれば,つまらない分掌も,委員会も,要らないということである。翌41年には教務,厚生補導,寮務の委員会が追加されて校務を分掌したと,記録には残されている。

ネットは,教育によいか 考えるプロセスカットで創造性が育たなくなる

自戒のために:
脳は面白い。ちょっと昔の友を思い出していたら,不意に次のフレーズが頭に降りた。
“I never forget them nor the day
this morning they waved good-bye
to touch the face of god.”
何だったかな?Chromeに打ち込むと…,あっさりと出てきます。打ち込んだものとは全然違う,かつてレーガンが,チャレンジャー号の追悼をしたフレーズ。

話は変わりますが,学校で教師がコンタクトできる時間を計算すると,学生の日常の中の13%くらいにすぎません。私は残りの87%を有効に使う教育をしていますが,学生の皆さんは気づいていますか?これに気づいている同僚は,ほとんどいらっしゃいません。
私には,以前から取り組んでいる,教育の仕掛けがあります。日頃の授業で出てくる,何気ないことに,授業中に何で?と問いかけて宿題にしてしまう。例えば,「微分なのに何でjωって置き換えて良いの?」とか,「電流はcurrentなのに,なんでiを使うの?」とか,「天動説は間違っていないのに,なんで間違っていると思うの?」とか。学生は駆け回ります。鹿野先生が結婚なさったころ,教員室に飛び込んで「先生,愛(i)って何ですか?」って聞いた有名な話があります。授業時間だけではなく,授業が終わってから次の授業までに,学生には何か引っかかりをもって生活してもらう。それが学生を成長させると思っているのです。答えがひらめいても,ひらめかなくてもよい,答えが出なくとも社会人になってから,ああそういうことだったのかと思ってもらえれば,それでもよい。そのような活動は私の評価にはつながりませんが,学校は学生の生涯のためにありますから,誠実な教育者になろうとすれば,私はそうせざるを得ない。最近の学生は,答えを欲しがる。私は,その答え(知識)を与えるのが教育ではないと思っている。答えに至るプロセスを経験させるのが教育だと思っている。学生が卒業してから出合うであろう,自分に手に負えない問題を,自力で切り開いてゆく力。学校では,致命傷を与えないように,巧みに授業で入れています。私はそうしている。最近の学生は,学校は知識をくれるところだと思っていて,教えてくれない先生はダメな先生だと思っている。考えてみてください,微分なのに何でjω?とか,電流はcurrentなのになんでiを使う?に,答えられない教師はモグリです。ところが私の授業中の問いかけで,学生が先生に聞きまくって,教員室で訊くと,先生が簡単に教えちゃう。これって,授業妨害なんです。同僚の配慮とは思えない。そして,その先生は良い先生,私は教えない悪い先生。最近は,学生は答えを欲しがる,教師は答えを与えたがる。そのような学校で,創造性はどこで育つのだろう。もし育ったというのなら,それはもともと学生自身が持っていたものである。持っていない人は,持てないまま卒業してゆく。それではダメ学校だと思います。私は,学生に考えてもらいたい。自力で考える訓練をしてもらいたい。自分の手に負えないなら,図書館に行けば,答えは見つかるような課題になるような配慮をしています。
プロセスカット,システム工学ではPCと呼びますが,これが技術の成果を生み,企業の利益を生みます。やらないで成果を得る,短い時間で大きな価値を得る,少ない努力で最高の出力をする。これが戦後日本の快進撃の背景にありました。しかしこのようなPCは,もはや我々の領域ではなく,経営学者の儲けの理論のネタにすぎません。次に日本の進む道は,創造性,独創性。アインシュタイン,ニュートンン,マックスウェル,ガリレオ,ほぼ100年に一人出るような人の仕事を,100人の人で1年でやってしまう,エンジニアに求める素質はそちらにシフトしている。教えた通りに仕事をする人なら,工業高校から入社させた方が優秀です。今の高校生は,非常に優秀なんです。そこに高専生の価値を,どこに求めるというのでしょう。高専卒の人は,修士修了くらいの能力を持たせられます。そこが教育の力です。西の久留米,東の小山とよばれたほどの,教育力の高かった小山高専。ところがこの10年で,私の周りではそのような雰囲気は消えました。正確には新学科になってから。もう一つはネットが身近になってからです。
話をインターネットに戻そう。
ネットは便利だが,悩む時間をカットしてしまう。脳が育たない。この20年で,人々の脳が変わったかもしれない。ネットを使うことで考えるプロセスを奪われている。確かに教育には便利だ。ビジネスには良いが,真理の探究や,独創や,創造の方面ではどうかな。そして,小山高専は,学生にどの能力を伸ばしてもらおうと思っているのだろう。答えが欲しい人には,ネット端末があればよい,それだけのことです。別に高等教育は必要がないです。基礎学力,それなら高校から大学受験の熾烈な受験勉強を経験させる方がよいでしょう。高専は答えを教えるような教育でよいのだろうか,創造工学科,何のことなんでしょうね。学生は,せっかく高専に来たのだから,よく考えてください。学生は育ててもらえないのに,嬉しそうに知識だけを詰め込まれて卒業しないでください。あなたはUSBメモリじゃない。そして教育スタッフについて言えば,教え屋は,教師としてはとっても楽なんです。余計なことかもしれませんが,誰も言おうとしない,不誠実でしょ。大事なことですから,自分の首を絞めるのを覚悟で,記しておきます。学生のために,学校のために,自戒のために。

システム工学の練習問題 コロナ第5波を分析し,6波を防ぐ方法を見つけよう

コロナ感染の新規感染者第5波のモデリングについて
     (本件のHP書き込み日時は2021年9月26日23:45,公開は責任者承認時点)
     (このコラムの文責は,一研究者・久保にあり,小山高専の見解を示すものではありません。)
(この内容は久保教員のFacebookアカウントで2021年9月11日18:37に一部マスコミ向けに公開,その後9月23日にFacebook友達に公開しました。ある企業のデータ分析の責任者(ソフトバンク○○〇データ○○〇部 〇部長のS氏)が,なぜ感染者数が減少しているか理由がわからないとの意見をFacebookに投稿しているのを見て,9月23日12:31にDMでその理由をお知らせしました。(S氏とはFacebook上の友達だったため,その投稿を読めたし,コメントをつけると迷惑かもしれないのでメッセンジャーDMを使いました。)その2時間後に返事を確認しようとしましたが,久保はFacebook上でS氏からブロックされたことがわかりました。それを受けて,9月23日16:05に,Facebook友達宛にその旨連絡して,S氏と論戦する旨を公表しました。しかしながらS氏は私をブロックしているので,公開論戦の機会がありません。そのため,自身の研究室HPにて公開し,S氏からの連絡を待つことにします。)
本件は,医学的根拠によらず,データ分析のモデリングの問題として,持論を述べています。そして,第5波の原因が,オリンピックのあのタイミングで行われたことにあるとして,矛盾がないだろうことを述べています。第5波を人類は防げたのに,あえて第5波を作り出してしまったと主張しています。これに対して異論または反論がある方は,小山高専久保研究室宛に郵便の形で書面をお送りください。順次,公開で討論させていただきます。よろしくお願いいたします。(S氏からの反論をお待ちします。そのほかの皆様からのコメントにつきましては,当方の事務処理能力と相談して可能な範囲で対応させていただきます。ご理解をお願いいたします。)

(久保の2021年9月11日18:37投稿:ここから)
データ分析とかモデリングが専門なので,苦しんでる方には申し訳ないが,備忘として書いておきます。(皆さん,わかっている方も多いようですが,マスコミなど,なぜか報道しない,やたらと選挙方向に持ってゆく。だまされないでください。)
大雑把に議論しよう。感染者数をxとする,これは時間の関数である。
感染者数の増加率x'(t)は感染者数に比例するので,一次関数である。
つまり(dx/dt)=cx+aが,感染者数モデルの支配方程式である。
定数cとaの大小によって,モデルは大きく2つに分けられる。
(1)成長モデルA aが無視できると,解はx(t)=exp(ct),つまり指数関数的に増加する。(原因が存在して結果が発生している)
(2)放置モデルB cが無視できると,解はx(t)=ax+b,つまり直線的に増加する。(原因がなくなって医療が限界で頑張っている)
それに加えてもう一つ,終息に向くモデルは:
(3)リリースモデルC aを無視してcの負号反転し,解はx(t)=exp(-ct),つまり指数関数的に減衰する。(原因の供給がなく,電気回路のRC減衰のように,消散する)
今回の第5波については,Tの東京オリンピックが原因となり,引き起こされている。Tのステップ入力で,Aのように成長モデル(12日で3倍くらいの指数関数的増加),Tのオリンピック閉幕でBの放置モデル(直線的増加),現在はCのリリースモデル(原因がなくなって指数関数的減少)にある。
AはイベントTで発生し,TがなくなるとBになる。BからCへの移行は,ウイルスの不活化時間と人の動きで決まる遅延時間で,こちらのモデル化も可能かもしれない。
指数関数的増加率は,第1波で4日で2倍,12日で8倍くらいであったと記憶する。今回のAは,増加率は12日で3倍くらい,増加率が小さくなったのは市民の取り組み,消毒,マスク,ワクチン,生活様式の節制が奏功した。我々市民が,とてもよく学んで取り組んだ証拠です。
一方,驚異的なピーク大きさになった原因は,初期値が大きかったことと原因の大きさ。恐れずに言うと最も大きかった原因は東京オリンピックです。あろうことか,第4波のリリースZが十分でない時期に東京オリンピックを強行したことである。
言い方を変えます:国民が努力して増加率を下げたのをいいことに,それにつけこんで政府は危険なオリンピックを強行した。
もう一度言います。今回たくさんの苦しむ人を生み出した原因は,わざわざ東京オリンピックを行ったこと,それに加えて,Zリリース途中で,かつ夏休みでわずかに感染者が増えたタイミングで,よりによってそのタイミングでオリンピックを開催したことである。
第5波は,人為的なピークです。
人類は防ぐことができたのに,国ぐるみで巨大感染ピークを引き起こしました。構造は戦争に似ている。引き金は政府が引いている。人為的なピークなので,リリースCの感染者減少期に選挙を持ってきています。そのようにコントロールされていることに,気づいてください。
マスコミは,日々何人,これは増加,などと細々としたことに目を向けさせて,決して全体を報道しません。政府もオリンピックを強行しておきながら,選手の頑張りに目を向けさせています。天皇陛下の宣言の時,国民の代表が起立しなかった。オリンピック強行だけに目がゆくと,どうでもよかったんでしょう。医学者がやまれずバッハ発言をした,それを批判した人は,第5波を引き起こした人たちの仲間です。
感染者数の原因と,オリンピック選手の素晴らしさは全く別に報じるべきです。そして医療関係者の悲鳴,働き方逆改革。 みんな不安だし,苦しんでいます。そこでまた同じ政府が舵をとろうとしています。
どうか今後とも,増加が成長モデルAか,放置モデルBかを注目して,冷静に行動してください。リリースCが完全ではないときにイベントT(オリンピックや選挙活動,授業再開)を行うと,また人為的にピークが来ます。これは止めた方がよい。初期値が大きかった第5波が恐怖であったように,第6波は,また政府によって作られる可能性が高い。
我々市民は,よく頑張って学習し,生活様式を工夫し,苦しくても耐えています。冷静に第1波と第5波を比較し,第6波を小さくしてください。
システム工学を専攻しモデリングやデータ処理を専門とする者として,記します。わかっている人には,無駄なお話をしました。「学者が」みたいな言い方で,政府寄りの人は批判するでしょう。私への批判を,どなたがするか,見る良い機会を提供します。
(久保の2021年9月11日18:37投稿:ここまで)
(久保の2021年9月23日15:54投稿:ここから)
政府は,コロナ第5波が変異種によるものと言っていますが,それなら現在の感染者減少が説明できません。だまされないでください。9月11日の自分の投稿を引用します。
政府も,マスコミも,信用できることを言っているようには思えない。
わたしたち市民は一生懸命頑張っている,それが現在の感染者減少に現れています。
政府やマスコミの狙いは何でしょう。何で,第5波の原因は東京オリンピック2020の強行だったと言えないんでしょう。
これからのイベント,選挙とか祭りの類,飲み会,管理されないフェスの類,対策不十分の授業再開,ちょっとしたきっかけで第6波は起こりえます。ウレタンマスクではなく,不織布マスクを。お互い,できることをして,気をつけましょう。当たり前の節制をしていればいいんです。
1つの意見として,ご参考まで。
(久保の2021年9月23日15:54投稿:ここまで,ただし先行投稿を引用しています)
(久保の2021年9月23日16:05上記投稿につけたコメント:ここから)
お昼頃,データアナリストの柴〇〇久氏が,「今の感染者数が減っている理由がわからない」というような投稿をしていたので,この投稿を柴〇氏に知らせました。柴〇氏は,その後,私をFB上でブロックしました。
上等だ,戦おうじゃないか。
データ分析でCEOだの有名企業だのの名をかたっていますが,柴〇〇久氏の素性が,ばれちゃいましたね。
https:〇
(久保の2021年9月23日16:05上記投稿につけたコメント:ここまで,ただし添付DMは個人情報なので割愛,一部個人情報を伏字にします)

※直上の部分は挑発しているとも読まれかねません。私は,こうでも書かないと,S氏が返事をくれないとさえ思っています。私の真意は挑発ではなく,私をブロックしたS氏には,次の意図があったと考えていますので〔1.第5波の原因を本当にわからないでいた。(これなら,データ分析のプロとしては杜撰です),2.第5波の原因を本当は分かっていたが,嘘をついた。(これは,叱責されるべきです),3.第5波の原因をわかっていながら,政治に忖度した。(これが最もあり得ます)〕,S氏には,いずれが真相だったのかを教えてほしいと思います。さらに私をブロックしてまで守ろうとした内容が何だったのかをお知らせ頂きたいと思います。私の言説は仮説であり,S氏のようなデータ分析のプロが批判し,反証可能性を示していただくことで,はじめて科学的仮説と認められるものです。そして,システムとモデリングのデータ分析のプロとして,お互いの信頼関係の下,ブロックしたりせずに,フェアに論戦しましょう。よろしくお願いいたします。
※S氏以外の方からの反論,ご意見も,お受けします。ただ,データモデルのシステム的分析の観点で議論し,論戦します。医学的観点のご意見は,論戦ではなく久保が勉強していただく材料として,ありがたくお受けします。政治的なご意見は,今回の議論の論点にはしません。マスコミからのお問い合わせは,学校事務と相談して対応します。市民からのご意見は,今後の参考にさせていただきますが,必ずしもすべてにお返事できないかもしれません。いただいた内容は,原則公開させていただきます。公開するのは,論戦の透明性を高め,フェアにすることで,今後の第6波に向ける注意点などの発展的な議論を可能にするためです。非公開にしたい部分,例えば住所氏名等の個人情報などは,手紙にご指示ください。処理能力の関係で,いただいたお手紙にすべて回答できるかどうかは,その都度判断させていただきますので,ご理解ください。議論は建設的なコロナ感染対策などへの有用な成果に向くように,心がけたいと思います。学生や卒業生からのご意見は,たとえ批判だとしても大歓迎します。よろしくお願いいたします。
※この内容は,久保のFacebookで友達範囲に実名公開していますので,もしご興味ありましたら実名にてメッセンジャーコメントと共にFacebookお友達のご申請を歓迎します。(怪しくない方からの写真付き実名での活動実績公開があるアカウントと分かれば,また迷惑行為や何らかの支障がなければ,申請をお受けしています。)

 

中秋の名月を広角で 2021年9月21日の小山高専

広角の レンズを涼しく 覗きこむ
中秋の月,図書館の影

小山市にて。( RX100M6, f=9.0 mm, F2.8 )

高専の授業の雰囲気 中学生のために(計測工学:EE4年生向け動画)公開

計測工学の2021年後期授業,初めの2回はリモートになりました。私はスライド授業など,講師の手元の都合で進めるのが苦手です。つまり,講義は,聴いている学生の手元に届けるのが授業だと思っているので,間のとり方や,目を合わせる瞬間などと,お互いに書いているタイミングが合わないと,学校授業の意味がないと思っています。リモート授業であっても,そのような感覚を大切にしています。
このように,授業は対面でないと,学生との真剣勝負ができないと考えてきました。そのため,コロナ時代のリモートが苦手で,Teams遠隔授業は音声のみでやってきました。しかし,時代への適応も大切だと思い,新しい試みとして,動画をあらかじめ板書をして作り,当日は動画配信して,最後に質疑音声によるやり取りで構成してみました。(スライドを使う遠隔授業は,どうも学生の手元で呼吸が合わないと感じていて,ここがギリギリ自分の妥協できる点だとの結論に到達しました。) いざ,実施してみると,高専機構の推奨するTeamsによるmovファイルの配信がバグるようでした。そのため,先週の第1回授業(2021-9/27)は,音声とコメントによるガイダンスのみで断念しました。
せっかく作った動画ですので,高専に入学する方の参考になればと思い,その一部をmp4ファイルで抜いてみました。高専4年次の専門科目の実情に近い内容です。

  計測工学(電気電子創造工学科4年向け) 1.はじめ 2.計測の基本 3.まとめ ←配信予定だった動画の抜粋
  動画リンク先からは,ブラウザの戻るを押してください
※これらは職場環境の問題によって,授業として配信できなかったファイルです。未公開資料ですし,勤務時間外の自己研鑽の時間を使ったお試し動画ですので,著作権関係は保留,担当者久保に帰属するとの認識で公開します。なお次回,来週の第2回遠隔授業で,もう一度配信にチャレンジしますので,そちらが成功すると2重配信となります。しかしこちらのリンクは抜粋ファイルであること,ファイルフォーマットの変換をしていること,一度アナログにしてから再サンプルしたファイルであることから,別の電子ファイルと考えています。以上の点をご配慮の上,これから高専に入学を考えていらっしゃる方等の参考になればと思い,公開します。授業担当者以外の再利用を禁止とし,高専授業に興味がある方の私的利用に限定してください。(目的以外の利用は,お断りします。再利用を希望される場合は,合法的に手続きを経てオリジナル動画ファイルをお渡しできると思いますので,まずはご相談ください。)
高専教員は,勤務時間内外を問わず,このような前向きな取り組みを工夫しています。主に入学検討中の中学生のために公開しますが,大学高専の研究者の皆様,中学高校,塾の講師の皆様,是非相互の取り組みにご協力ください。内容に学問的誤りがあれば,授業の改善に役立たせていただきます。コメント,批判も有難くお受けします。共同研究等も含め,久保宛ご遠慮なくお申し付けください。よろしくお願いいたします。

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国際会議ICTSS2021でコロナ感染症の発表 市民と工学教育のために

国際会議ICTSS2021でコロナ感染症に関わる2件の発表を行いました。
2件とも論文が査読を経て採録され,発表は招待講演の枠で行うことができました。コロナ時代にあってZoomによるリモート講演を職場にいながらできたので,大変感動的でした。海外の研究者と意見交換できたことは有意義だったと感じました。

査読付き論文,招待講演の発表スケジュールは,以下のリンクにあります。
     http://conf.e-jikei.org/ICTSS/2021/proceedings/index.htm
2021年12月7-9日(Zoomによるリモート講演)発表は9日のIPS-02にて行いました。発表動画の一部を抜いて掲載します。
○11:25-11:45 [5] Invited Paper (20min): Kazuyoshi Kubo (NIT Oyama College)
On the incredible match between the number of people infected with COVID-19 and a simple engineering model AID
※コロナ感染症は100年前のスペイン風邪同様に,有効な薬とワクチンが十分でない状況では,人類が闘う武器はモデリングによる感染制御しかない。日本の医学では100年前のカーマック&マッケンドリックのSIRモデルが使われてきた。今回提案したAIDモデルは,アナロジー手法により,医療の詳細を知ることなく感染ピークの形状に驚くほど一致したピークが得られ,これを読むコツさえつかめば,一般市民でも感染症の状況がテレビ報道されているデータのみから把握することができる。これにより,必要以上の不安を生むことがなくなれば,紙製品やマスク,消毒用アルコールの買い占めやオークションサイトでの効果取引が抑えられ,医療従事者に優しく,弱い人にも優しい市民生活が送れるであろう。AIDモデルの感染者数ピークは,引き金を引くことで生じるため,ピークが何を原因として起こったかが把握しやすい。これにより,今後の感染拡大を未然に防ぐないし小さくすることが期待される。日本での第5波の大きなピークで,死ぬ必要のない方が亡くなった。このピークのトリガーは,東京オリンピック2020であると考えて矛盾がなく,そのような原因を真摯に分析して,今後の感染拡大を防ぐことが可能になる。→ 講演動画の一部 ← 動画リンク先からは,ブラウザの戻るを押してください
○16:20-16:40 [16] Invited Paper (20min): Kazuyoshi Kubo, Masato Kasahara, Mitsuomi Ideo, Yasuhiro Kato (NIT Oyama College)
On how we have dealt with the COVID-19 at NIT Oyama College
※コロナ感染症により,大学も高専も新しい時代の感染症対策をした教育活動が求められた。小山高専の,特に第1著者の関わった教育では,十分な対策をとることにより,幸いなことに大きな問題に遭遇することなく,通常の教育活動が行えている。その際の具体的な対策や,学生たちに感染症予防の習慣を身につけさせる事,様々な場面でのウイルスの不活化や消毒など,様々な取り組みを詳細に報告した。我々はこのような開かれた情報開示をして,世界の大学,カレッジ等高等教育機関と事実に基づいた対策を語り合い,お互いに学び合いながら,コロナ感染症の時代に適応することが求められている。一緒に語り,一緒に学ぶことで,世界の教育を高めることに貢献できる。我々は教育における知的活動の部分の仕事をしながら,歴史的にもまれにみる困難の中にあって,フロンティアで活動していることを認識し,活動を共有することを提案した。→ 講演動画の一部 ← 動画リンク先からは,ブラウザの戻るを押してください
コロナ時代のZoom国際会議は,職場にいながら世界中の研究者につながる,気持ちのいい活動です。

国際会議ICTSS2021で学会賞 ますます貢献します

国際会議ICTSS2021でコロナ感染症に関わる2件の発表を行いました。同僚と連名の論文が最優秀論文賞(Best Paper Award),拙著発表が最優秀発表賞(Best Presentation Award)を受賞しました。2021年12月15日深夜に届き,度肝を抜かれました。
仲間との受賞は,嬉しいことです。2年間頑張ってきたことが,評価された思いです。これで満足することなく,ますます工学教育と世の中のために頑張ってゆきます。

次は何をして人と違う貢献しようかと,考えてみようと思います。今後ともご指導のほどをお願いいたします。

テレビ出演とラジオ出演しました ますます貢献します

国際会議ICTSS2021でコロナ感染症に関わるAIDモデルの発表を行いました。市民にも易しく理解される内容として,紹介しました。2021年12月17日にはテレビ小山のニュースに取り上げられました。また12月21日にはコミュニティラジオ「お~ラジ77.5 MHz」にゲスト出演させていただき,市民に優しく呼びかけました。こちらのリンク(外部HPに移動)で公開いたします

ちらで逐次更新します

久保研 電電 小山高専 図書 リンク 

緊急連絡 →学外のページ

緊急の連絡は, 外部リンク(久保教員の外部HP)を参照してください。

久保研 電電 小山高専 図書 リンク 

リンク →学外のページ

 公益社団法人 計測自動制御学会(SICE)
 一般社団法人 日本機械学会(JSME)
 一般社団法人 電気学会(IEEJ)
 一般社団法人 日本音響学会(ASJ)
 一般社団法人 慣性センサ応用技術研究協会
 米国電気電子学協会(IEEE) The Institute of Electrical and Electronics Engineers
 米国音響学会(ASA) The Acoustical Society of America
 学会連合 自動制御連合講演会
 学会連合 横幹連合(横断型基幹科学技術研究団体連合)
 秋田公立美術大学 霜鳥秋則学長
 国立研究開発法人 産業技術総合研究所・計量標準
 SI国際文書第9版 国際文書
 群馬大学 理工学府 小林春夫・桑名杏奈研究室
 筑波大学 機械システム研究室・藪野研究室
 筑波大学 サイバーダイン(株)山海嘉之博士(TEDx)
 筑波大学 機能知能工学域・相山康道教授
 筑波大学 青島伸治名誉教授(信号圧縮法)
 筑波大学 故・井戸川徹名誉教授(楽器音響)
 筑波大学 永井啓之亮名誉教授(バイオリン)
 筑波大学 知能ロボット研究室・油田信一名誉教授
 筑波大学 元学長・江崎玲於奈博士
 筑波大学 音声学・城生佰太郎名誉教授
 筑波大学 物理工学系・鈴木哲郎名誉教授
 筑波大学 蓮精・名誉教授
 東京大学 故・高橋秀俊名誉教授(追悼)
 東京大学 故・磯部孝名誉教授(自伝)
 東京大学 故・五十嵐寿一教授(追悼)
 東京大学 計数工学科・安藤繁研究室
 東京大学 計数工学科・石川正俊特任教授
 東京大学 北森俊行名誉教授
 東京大学 藤野陽三・名誉教授(現・城西大学学長)
 東京都立大学 情報科学域・小野順貴教授
 東京工業大学 情報通信系・高橋篤司教授
 東京工業大学 小林彬名誉教授
 東京工業大学 森政弘名誉教授
 東京工業大学 システム制御系・三平満司教授
 東京農工大学 元学長・小畑秀文元高専機構理事長
 東京農工大学 故・樋口健治名誉教授
 電気通信大学 知能機械工学専攻・新誠一研究室
 お茶の水女子大学 土屋賢二・名誉教授
 大阪電気通信大学 臼田昭司客員教授
 大阪大学 基礎工学部・木村英紀・名誉教授
 大阪大学 故・大中逸雄名誉教授(JABEE)
 熊本大学 柏木濶名誉教授
 岡山大学 井上昭名誉教授
 佐賀大学 医工学コース・寺本顕武教授
 静岡大学 故・中村勲元教授(追悼)
 秋田大学 採鉱工学研究室・川村洋平教授
 鹿児島大学 理工学域工学系・柴田晃宏准教授
 山梨大学 動的システムデザイン研究室・野田善之教授
 宇都宮大学 計測ロボット研究室・尾崎功一教授
 長野大学 企業情報学科・山西敏博 教授
 富山大学 人間発達科学部 ・宮城信 准教授
 室蘭工業大学 ロボティクスユニット・花島直彦教授
 早稲田大学 情報生産システム研究科・篠原尋史教授
 早稲田大学 情報アーキテクチャ・藤村茂教授
 早稲田大学 山崎芳男教授(ディザ)
 早稲田大学 高橋利衛名誉教授(アナロジーの理論)
 早稲田大学 小島順名誉教授(小島順の数学教室)
 慶應義塾大学 本多敏教授(講義)
 慶応義塾大学 物理情報工学科・足立研究室
 長岡技術科学大学 雪氷工学研究室・上村靖司研究室
 東京女子大学 国際英語学科・鈴木栄研究室
 共立女子大学 建築計画研究室・高橋大輔教授
 神奈川工科大学 先端電子計測・小室貴紀研究室
 芝浦工業大学 モーションコントロール研究室・島田明教授
 愛知工業大学 音声信号処理研究室・井研治教授
 東京都市大学 ネットワークデバイス集積化システム・傘昊研究室
 東京電機大学 ロボットメカトロニクス学科・花崎泉研究室
 東京電機大学 生産工学研究室・山崎敬則研究室
 東京電機大学 材料力学研究室・渡利久規研究室
 岡山理科大学 通信システム・荒井伸太郎研究室
 徳島大学 知能電子回路講座・上手洋子准教授
 徳島文理大学 福祉ロボット工学チームリーダー・藤澤正一郎教授
 鳴門教育大学 高度学校教育実践専攻・胸組虎胤教授
 和歌山大学 英語教育・江利川春雄教授
 足利大学 創成工学科・土井達也教授
 流通経済大学 スポーツ健康科学部・酒入陽子教授
 名古屋経済大学 経営学部・柴田良一教授
 宮城学院女子大学 教育学部・梅田真理教授
 白鴎大学 教育学部後藤学准教授・教師の仕事場
 東北文化学園大学 建築環境学科・山本和恵教授
 実践女子大学 英語コミュニケーション・藤原正道教授
 帝京大学 宇都宮キャンパス英語・前原由幸准教授
 大妻女子大学 社会情報学部・田丸直幸教授
 福井工業大学 経営情報学科・吉田友美准教授
 拓殖大学 政経学部・山本尚史教授
 放送大学 心理と教育コース・森津太子教授
 茨城女子短期大学 表現文化学科・小松崎浩司研究室
 高エネルギー研究所 名誉教授・故・高良和武(追悼)
 筑波研究学園専門学校 元理事長・故・西谷隆義先生
 東京都立高専 荒川・ロボット工学コース・山本広樹研究室
 大阪府立高専 電子情報コース・梅本敏孝研究室
 群馬高専 電子情報工学科・市村智康研究室
 小山高専 インテリジェントロボティックス・井上研究室(Demo)
 小山高専 黒須茂博士・クロテック
 小山高専 エナジーエデュケーション・加藤岳仁理事長
 釧路高専 一般教育部門・小田島 本有研究室
 香川高専 通信ネットワーク工学科・正本利行 准教授
 日産自動車 取締役・井原慶子(TEDx)
 日産自動車 元主管・渡邉衡三
 レーシングドライバー 中谷明彦
 ホンダオート岡山販売 近藤智
 サバイドル かほなん
 植松電機 植松努社長(TEDx)
 京都大学 泌尿器腫瘍学・吉田修名誉教授(天理医療大学学長)
 慶應大学 元医学部泌尿器科学教室・飯ケ谷知彦院長
 国立がんセンター 元中央病院総合病棟部長・鳶巣賢一
 国立がんセンター 元総長・垣添忠生
 常盤病院  泌尿器科・新村浩明院長
 久保信号解析研究所 KuboSaplab2021
 小山技術者教育協会 OyamaIEEE
 IEEEの台湾と日本セクションが開催する国際会議 TJCAS2019
 日本技術者認定機構 JABEE
 米国技術者認定機構 ABET
 WAワシントン協定 Washington Accord
 小山市 小山市役所
 栃木県 栃木県庁
 厚生労働省 栃木労働局・労働基準監督署
 文部科学省 大臣官房
 文部科学省 全国大学一覧
 独立行政法人 学位授与機構
 独立行政法人 国立高等専門学校機構
 高専50年誌 高等専門学校50年の歴史
 セキュリティ情報  セキュリティネクスト

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